昨日、元関脇寺尾の錣山親方の訃報がありました。60歳でした。去年、弟子の阿炎が優勝した場所で入院中だったと聞いて、気になっていましたが、こんなに早く見られなくなってしまうとは思いませんでした。写真はコロナ前の2020年1月場所で、入場ゲートでチケットをもぎっていた寺尾です。「こんなところに寺尾がいる」と気付いたのは、見た限り自分だけだったようでした。
寺尾は回転の速い突っ張りを武器に、長く幕内で活躍した力士でした。寺尾は新入幕当時のインタビューで「自分は主役にはなれないから、最高の脇役になりたい」と話していました。その願いは叶ったと思います。四つ相撲での安定感は抜群だった全盛期の貴乃花が、寺尾には2度ほど金星を配給しています。立ち合い突っ張った寺尾が、タイミングよく引くと、貴乃花が仕切り線の白線で足を滑らせて土俵に落ちた一番は今でも思い出せます。
また、千代の富士に食らった「吊り落とし」も印象的です。千代の富士相手に突っ張った寺尾が、最後千代の富士に後ろに回られて、そのまま送り出せばいいのに吊り上げて土俵に叩き落した一番でした。あの千代の富士が、本気で怒ったんだというのが、取り口に表れていた一番でした。また、寺尾は一時、最多黒星記録というワースト記録も持っていました。
もちろん、寺尾が弱かった故の記録ではなく、必然的に黒星が多くなる前頭上位を何度も務め、39歳まで取ったからの記録です。弟子の阿炎に39歳まで取れるかという質問をすると、「それは相当困難」と返されるほどです。今は旭天鵬が持っている記録ですが、それだけ稽古熱心で、自己管理もしっかりしていた証明でしょう。
親方としては、豊真将、阿炎を育てています。豊真将については、負傷がちだったものの「弟子でありながら誇りに思う」と引退のときに最大限の賛辞を送っていました。井筒3兄弟と呼ばれた、長男鶴嶺山、次男逆鉾、三男寺尾という三兄弟で井筒部屋に入門し、逆鉾とは兄弟同時関脇の記録も達成しました。
今や、その井筒3兄弟は皆、亡くなってしまいました。時の流れは無情なものですが、鶴嶺山が経営していた「相撲茶屋 寺尾」にその名前が残っています。彼の突っ張りに熱狂した、若き日の自分を、ちょっとだけ振り返った訃報でした。
寺尾は回転の速い突っ張りを武器に、長く幕内で活躍した力士でした。寺尾は新入幕当時のインタビューで「自分は主役にはなれないから、最高の脇役になりたい」と話していました。その願いは叶ったと思います。四つ相撲での安定感は抜群だった全盛期の貴乃花が、寺尾には2度ほど金星を配給しています。立ち合い突っ張った寺尾が、タイミングよく引くと、貴乃花が仕切り線の白線で足を滑らせて土俵に落ちた一番は今でも思い出せます。
また、千代の富士に食らった「吊り落とし」も印象的です。千代の富士相手に突っ張った寺尾が、最後千代の富士に後ろに回られて、そのまま送り出せばいいのに吊り上げて土俵に叩き落した一番でした。あの千代の富士が、本気で怒ったんだというのが、取り口に表れていた一番でした。また、寺尾は一時、最多黒星記録というワースト記録も持っていました。
もちろん、寺尾が弱かった故の記録ではなく、必然的に黒星が多くなる前頭上位を何度も務め、39歳まで取ったからの記録です。弟子の阿炎に39歳まで取れるかという質問をすると、「それは相当困難」と返されるほどです。今は旭天鵬が持っている記録ですが、それだけ稽古熱心で、自己管理もしっかりしていた証明でしょう。
親方としては、豊真将、阿炎を育てています。豊真将については、負傷がちだったものの「弟子でありながら誇りに思う」と引退のときに最大限の賛辞を送っていました。井筒3兄弟と呼ばれた、長男鶴嶺山、次男逆鉾、三男寺尾という三兄弟で井筒部屋に入門し、逆鉾とは兄弟同時関脇の記録も達成しました。
今や、その井筒3兄弟は皆、亡くなってしまいました。時の流れは無情なものですが、鶴嶺山が経営していた「相撲茶屋 寺尾」にその名前が残っています。彼の突っ張りに熱狂した、若き日の自分を、ちょっとだけ振り返った訃報でした。
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