
先週、電車の中で見ていたスマホから、槙野智章選手の浦和退団を知りました。個人的にはもう一年やれるのではと思っていましたが、今季の後半にショルツとCBコンビを組む選手が岩波で固定化されてきており、彼の代わりに若いDFを獲得して成長に賭けるという考えも理解できます。浦和で10年プレーし、2017年のACL優勝で浦和を引っ張ってくれました。
槙野は広島市の出身で、ジュニアユースから地元のサンフレッチェ広島の下部組織でプレーしていました。浦和でもチームメイトになった柏木陽介とは、この頃からの旧知の仲です。その広島でトップチームに昇格してプロになり、2007年のワールドユース、カナダ大会では柏木らとともに出場し、ゴール後のパフォーマンスから「調子乗り世代」と異名を取ることになります。
海外挑戦は2011年、ドイツ1部のケルンで実現させました。もっとも、ドイツではわずか5試合の出場にとどまり、広島時代の恩師で浦和の監督になっていたミハイロ・ペトロヴィッチ(ミシャ)の誘いで、1年間のレンタル移籍で2012年に浦和に加入してきました。このあたりから、攻撃力のあるDFとして憧れていた闘莉王に迫る活躍を見せることになります。
槙野は当時のインタビューで「世界のDFの3本の指に入るくらいシュート練習をしている」と攻撃力には自信を持っている様子で、当時のミシャの戦術でストッパーをSBのごとく前に出すサッカーに適応しました。上がったときはMF並みのパスセンスがあり、自分で「原口、宇賀神、槙野の左サイドは浦和のストロングポイント」と言い切るほどでした。
また、槙野はプロとしては名前を憶えてもらうことを意識しており「目立つこと」をモットーにしていました。ゴールが決まったときはテレビカメラの位置を意識してそちらの方向にパフォーマンスをする、左右違う色のスパイクを履いて遠目からでもわかるようにするなど、独自の哲学を持っていた選手です。槙野、森脇、柏木ら、旧広島勢が一時期の浦和を支えてくれました。
退団に伴い、「(敵チームとして)埼スタに来たときはブーイングして欲しい」とサポーターに最後のメッセージを送っていました。体力的にはまだやれる力は持っており、J1の他チームに入って浦和相手にリベンジされるかもしれません。清水とのリーグ最終戦で挨拶もあるので、ちょっと寂しい別れですがそこで彼の言葉を聞けるのを楽しみにしたいと思います。
槙野は広島市の出身で、ジュニアユースから地元のサンフレッチェ広島の下部組織でプレーしていました。浦和でもチームメイトになった柏木陽介とは、この頃からの旧知の仲です。その広島でトップチームに昇格してプロになり、2007年のワールドユース、カナダ大会では柏木らとともに出場し、ゴール後のパフォーマンスから「調子乗り世代」と異名を取ることになります。
海外挑戦は2011年、ドイツ1部のケルンで実現させました。もっとも、ドイツではわずか5試合の出場にとどまり、広島時代の恩師で浦和の監督になっていたミハイロ・ペトロヴィッチ(ミシャ)の誘いで、1年間のレンタル移籍で2012年に浦和に加入してきました。このあたりから、攻撃力のあるDFとして憧れていた闘莉王に迫る活躍を見せることになります。
槙野は当時のインタビューで「世界のDFの3本の指に入るくらいシュート練習をしている」と攻撃力には自信を持っている様子で、当時のミシャの戦術でストッパーをSBのごとく前に出すサッカーに適応しました。上がったときはMF並みのパスセンスがあり、自分で「原口、宇賀神、槙野の左サイドは浦和のストロングポイント」と言い切るほどでした。
また、槙野はプロとしては名前を憶えてもらうことを意識しており「目立つこと」をモットーにしていました。ゴールが決まったときはテレビカメラの位置を意識してそちらの方向にパフォーマンスをする、左右違う色のスパイクを履いて遠目からでもわかるようにするなど、独自の哲学を持っていた選手です。槙野、森脇、柏木ら、旧広島勢が一時期の浦和を支えてくれました。
退団に伴い、「(敵チームとして)埼スタに来たときはブーイングして欲しい」とサポーターに最後のメッセージを送っていました。体力的にはまだやれる力は持っており、J1の他チームに入って浦和相手にリベンジされるかもしれません。清水とのリーグ最終戦で挨拶もあるので、ちょっと寂しい別れですがそこで彼の言葉を聞けるのを楽しみにしたいと思います。
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