大相撲秋場所は、写真の関脇大の里の2回目の優勝に終わりました。大の里はこの優勝で13勝2敗で、3場所合計34勝と、大関昇進の目安となる3場所合計33勝を超えました。これを受けて、日本相撲協会の審判部は大関昇進に向けた理事会の招集を決めました。この理事会で否決された例は過去に一度もないことから、大の里の大関昇進が確実になりました。正式には番付編成会議を受けて、大の里のもとに使者が出向いて伝えることになります。
大の里は能登半島の付け根にある、石川県河北郡津幡町の出身です。相撲が強くなりたいと、高校は新潟県の海洋高校に越境入学して、大学は日体大に進学しています。日体大ではアマチュア横綱2回、学生横綱1回と抜群の結果を残して、卒業後の幕下10枚目付け出しの資格を得ました。プロ入りは二所ノ関部屋で、この部屋が茨城県阿見町と田舎にあることで相撲に集中できることを理由に挙げています。
大の里の四股名は、大正時代の大関、青森県出身の「大ノ里」から取っています。大ノ里の子孫に使用許可をもらっており、師匠の現役時代の「稀勢の里」の「里」がついていることから、大きな期待を受けていたのでしょう。師匠の二所ノ関親方は、「まずは関取になって1年間で90番取れる体を作る」と、この逸材をじっくり育てる計画でした。
出世は順調でした。幕下では6勝1敗、4勝3敗の成績で2場所で通過すると、十両でも2場所連続12勝3敗で2場所で通過します。大卒で、しかもアマチュア相撲の最強力士ということで、入門時には既に体は出来上がっており、当たりの強さで圧倒できていました。二所ノ関親方は、まずは押し相撲だけを教えて、三役に上がってから四つ相撲を教えるとコメントしていましたが、その押し相撲だけで勝てる高い能力を持っていました。
幕内に上がってからも、勢いはそのままでした。春場所では尊富士と優勝争いもしました。新入幕から大関昇進まで5場所というのはもちろん最短記録ですが、その5場所すべてで三賞を受賞しているのは史上初です。夏場所と秋場所で優勝し、直近3場所で2度の優勝という結果があれば、大関昇進は審判部もファンも満場一致で納得でしょう。
これからはもちろん横綱に挑むことになります。学生相撲出身の横綱は、意外にも故郷の先輩でもある輪島ただ一人です。学生相撲出身の大関は出島、雅山、朝乃山などがいますが、横綱がなかなか出ないのは不思議です。この逸材なら、その壁もすんなりと超えてくれるのではと、大きな期待を寄せたくなる存在です。
大の里は能登半島の付け根にある、石川県河北郡津幡町の出身です。相撲が強くなりたいと、高校は新潟県の海洋高校に越境入学して、大学は日体大に進学しています。日体大ではアマチュア横綱2回、学生横綱1回と抜群の結果を残して、卒業後の幕下10枚目付け出しの資格を得ました。プロ入りは二所ノ関部屋で、この部屋が茨城県阿見町と田舎にあることで相撲に集中できることを理由に挙げています。
大の里の四股名は、大正時代の大関、青森県出身の「大ノ里」から取っています。大ノ里の子孫に使用許可をもらっており、師匠の現役時代の「稀勢の里」の「里」がついていることから、大きな期待を受けていたのでしょう。師匠の二所ノ関親方は、「まずは関取になって1年間で90番取れる体を作る」と、この逸材をじっくり育てる計画でした。
出世は順調でした。幕下では6勝1敗、4勝3敗の成績で2場所で通過すると、十両でも2場所連続12勝3敗で2場所で通過します。大卒で、しかもアマチュア相撲の最強力士ということで、入門時には既に体は出来上がっており、当たりの強さで圧倒できていました。二所ノ関親方は、まずは押し相撲だけを教えて、三役に上がってから四つ相撲を教えるとコメントしていましたが、その押し相撲だけで勝てる高い能力を持っていました。
幕内に上がってからも、勢いはそのままでした。春場所では尊富士と優勝争いもしました。新入幕から大関昇進まで5場所というのはもちろん最短記録ですが、その5場所すべてで三賞を受賞しているのは史上初です。夏場所と秋場所で優勝し、直近3場所で2度の優勝という結果があれば、大関昇進は審判部もファンも満場一致で納得でしょう。
これからはもちろん横綱に挑むことになります。学生相撲出身の横綱は、意外にも故郷の先輩でもある輪島ただ一人です。学生相撲出身の大関は出島、雅山、朝乃山などがいますが、横綱がなかなか出ないのは不思議です。この逸材なら、その壁もすんなりと超えてくれるのではと、大きな期待を寄せたくなる存在です。
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