kotoba日記                     小久保圭介

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アラーキーの言葉

2008年01月13日 | 生活
荒木経惟著「幸福写真」読了。
といっても、写真集だから、観了。
といっても、文もあるから、観読了。

アラーキーの本はこれで4冊目ぐらいだけれど、
相変わらず、言葉も良いです。
たぶん、
録音した肉声を、出版社が文字にしているのだろうけれど、
この本に限らず、アラーキーの言葉って、
生活、生で活きている、っていう感じです。
軽やかで、あたたかい言葉たち。

すごくここに残しておきたい文があるので、
引用します。

「1パーセントの
   幸福を
  切り取る」

ハレの日もあればケの日もあり。
不幸ばかりだという人がいても、
アタシは写真で幸福をと思ってる。
100パーセントの不幸ってないと
信じてるからね。もし九九パーセント
不幸なものがあっても、残りの一パーセント
の幸福な瞬間に俺はシャッターを押す。
どちらの瞬間にシャッター押すかで写真は違う。
でも、今の気分としては、できるだけ生き生きした姿を
写したい。そうして一パーセントの幸せを永遠にする。
そう思ってシャッターを切る。
だれかの一瞬の笑顔が、暗い空気や落ち込んだ雰囲気を
消し去ることがあるでしょ。写真だって、そんな力が
あるかもしれない。写された人も、その写真を見た人も、
「あ、これが幸せなのかもしれないな」と気づく、それが
幸福写真なんだよね。


です。
アラーキーの写真に添えた短い文や、
上記のような長い文、
この「幸福写真」という本、
すごく素敵で、
現代は、「モノクロ」ということも
書いてあります。

さて、今から「のだめカンタービレ in ヨーロッパ」の後半を、
録画でもう一度見ます。
で、もしまだ眠くなかったら、
高橋源一郎著「ニッャ唐フ小説」をスタート。

      

詩臭 

2008年01月13日 | 文学
日曜日なのに忙しいです。
でも、この日記を書く時が、
一番楽しいです。
一週間分の日記は、
時間が経っているので、
物語るにはふさわしく、
ならば、日記とは言えないのですけれど、
あー、僕の時間だ、という喜びと楽しみなのです。

今朝はよく晴れると天気予報が言っていましたので、
さっそく、布団を干して、
近くの神社に、古いお札を返しに行きました。
筑前煮を作り、手紙を書きました。

藤井貞和著「人間のシンャWウム」を再読。
もうこの詩人のこの詩集は、
なんといったらよいのかな、
わかんないな、
すんごいです。
言葉がこれだけすごい人って、
少ないんじゃないだろうか、
と思います。改めて。
何がこんなに凄いのか、
他の藤井の詩集も読んで思います。

一緒に借りた多和田葉子(小説家です、基本は)著「傘の死体とわたしの妻」も、
良いのだけど、
藤井貞和の方が、断然凄い。
スピリチュアルな感じで、
言葉が迫ってくるというか、
この世の言葉じゃないのじゃないか、
よその世界で歌われる歌詞のようでもあり、
言霊だらけの詩臭(この誤字は素敵なので、このまま)です。
ほらね、来た。
こういう奇蹟的な誤字が来るのです、
藤井貞和の言霊を呼んだ(読んだ)あとには。
もう、言葉って最高です。
こういうことがあるから、やめられないんです。

さて。
これからいろいろ。
外で、風、ぴゅうぴゅう、鳴って。