kotoba日記                     小久保圭介

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続・犬塚康博さんライブ

2008年02月04日 | 音楽
立春。
p<Jン。

朝、オジに発す。
「昨日、友達と、ライブ行ってきた」
「おお!」
とオジ。
「前、言ってた北海道の人じゃあ」
「どうやった?」
「すんげえよかった。でさあ、あるCDを渡したい思って持ってたんじゃけどさあ、
まあ、なんとか、渡せて、ほら、オジが、『この歌詞を書いた人に会いに行け、そして、少しでもいいから、話をしてこい。それがこれからの小久保君の創作の為になる』って言うとおったじゃろう、一年前に」
「そうじゃあ!」
「で、会ったんじゃあ、やっと。でもさあ、お互い、もじもじして、話にならなんだ、でも、録音盤出たら、欲しい、って言うてきた。あかん、もう緊張して、でも、わいはライブハウスのhpで写真観て知ってたんじゃけど、向こうはわいのことしらんのに、
会ってすぐわいがわいだってことに、気が付いたみたいで、すんげえうれしかった。
そいで、もうとにかく、何かすごくたくさん聞きたいことや、話したいことがあったんじゃけど、どうもあかんのや、相手もすんげえシャイだし」
「そういう人慣れしてないのがええなあ」
とツバキノオジは、犬塚さんのことを言った。
「それが本物いうもんじゃ」
とオジは重ねた。
オジは、犬塚さんのことを、ほとんど知らないのに、
まったくもって、オジの言う通りで、
犬塚さんは、人慣れしてなくて、かつ、だからこそ本物なのだ。
オジは、わいも犬塚さんもほとんど何もしゃべれなんだことを、
笑っていたけど、
「人慣れしてないのがいいな」
と言った時のオジの目は、
異様に鋭かった。
それはオジが核心に向かう時の、目であることをわいは知っている。

目で思い出したことがあります。
昨日のライブで、「幸せそうな人たち」(犬塚さんの作詞作曲)という曲を、
加川良さんがカバーしていて、
それを4人(加川良、犬塚康博、松下幸春、すぎの暢)でやっていたとき、
マンドリンを少ない音で弾いていた犬塚さんの目は、
客席を見ていました。
それは、とてもおもしろくて、
見られる側の犬塚さんが、
逆に客の反応を見ている、
とわいは思いました。
この冷静さが、僕は好きです。
また、松下幸春さん(すごくきれいな声)が、
犬塚さんに、
「もう良いですか(演奏していいですか、そっちのギターのスタンバイは?)」
と訊くのですけれど、
「オーケー」とか、やわらかにうなずくこともなく、
「いいですよ」と、すごくクールに言うものだから、
僕はひとりで受けていました。

それと、MC(曲と曲の間で、話すこと)で、
「名古屋の一番近い海は?」
と客に訊いて、
「あ、知多ですね」
と犬塚さん。
「今は、飛行場があって、縦(上空)の線で見えるのですけど、
横の線から見た歌を歌います」
と犬塚さんは言った。
このトャ鴻Wー的な言い方が、
僕はなんとも素敵に聞こえて、
このことは、もうぜったいに、
ここに記しておきたい言葉の一つでした。
氏のhpも、すごく良いです。

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帰宅。
高橋源一郎著「ニッャ唐フ小説」読む。
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犬塚康博さんライブ

2008年02月04日 | 音楽
昨日(2月3日)の事柄。


今日は名古屋、今池は、「得三」へ、
ライブを観に行きました。
昨日、今日と二夜連続のライブ。
出演は、加川良さんと犬塚康博さん。
ゲストは、すぎの暢さんと松下幸春さん。



雨があがったグレイの空、
今池へ。

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baraちゃんの切手のヤフオクについて。

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犬塚康博さん。


美しい声、音、言葉、
それが、いま、目前で光っている。
日本語のキレイさに、
一曲目から、すでに、
インパクトあり。
ダンディー、
宇宙的なラップスティールギター、
シンプル、素朴、
ゆるさ、静かさ、
さわやかさ、美しさ、
冬の陽の如く、
「古井の坂」、
「むかしのおばけ」
むかしのおばけ、って、
何だろう。
かんざわさん、
「八月は、」
・キタガワアイコさん(北海道)

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まるで少女のような人。
フレップの頃に。野原へ。
「さかな」

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床に落ちた黒いジャンパー、
一晩中聴いていたい歌
「無何有の郷」
「くすのき」
童謡のように、
LaLaLa
「彼女のたより」
「朝の部屋」
「灯台」
「ぼくはただ息をする」

(景色に時間が降り積もる、′「塚康博「ぼくはただ息をする」より)

一曲一曲が、
まるで石のよう。
石と石は、
区別され、
交わることのない、
ただ、雨とは交わる、石。
「石」の人。
「少女」の人。
「毅然」の人。

すぎの暢さんのインスト二曲。
音や言葉は、
人となり。
誰が歌うか、
誰が弾くか、だ。
その人の存在感、如何だ。

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加川良さん。

「つれづれなるままに」
あれから、30年も経った(なんて!)。
「こんばんは、お月さん」、
「親愛なるQに捧ぐ」
「女の証」
「コスモス」

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詩ャbト(タッチミスですけど、このまま残します)。
スャbトライト、目前のグラスの水に、うつっている。
「あした天気になあれ」、良。
すぎのさんに、歌の心、あり。(発見)。
「ラブソング」



「小さな宇宙の横に」
「幸せそうな人たち」
「ャvラ並木」

豆まき。
「鬼は外って、言うたらあかんのですね。福はうち」

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楽屋から出ていた犬塚さんと面会。初見。


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あの子をさがして

2008年02月04日 | 映画
昨日(3日。日曜日)のこと。

奥田民生「ファンタスティック OT9」を聴きながら、
筑前煮を作る。
たいてい、今までデリコの新譜を聴きながら作っていたので、
あー、やっと改革だ、と思いました。
だいたい、僕はCD一枚分の時間で、作るんです。筑前煮。

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映画「あの子をさがして」観る。
山崎ナオコーラのエッセイで、
素晴らしい感じで紹介されていたので、観ました。
うん、やっぱり、最後の主人公の涙と、
黒板に一字だけ書くシーンで、
もうあかん、涙が出て、画面がよう見れなんだ。
つーか、
この映画は、
まあ、中国の映画で、
本意は貧しい村がある、その社会派の映画だと思います。
筋は、
小さな貧しい村があって、
そこで代行教員が来て、
13歳ぐらいの教職もない少女。
25人ぐらいの子供達の教室。
チョークも粗末にできない貧しさ。
貧しさで、学校を辞めていく子供達、たくさん。
で、10歳の男の子が、
町に出稼ぎに行き、
13歳の少女(先生)が、
町に探しにいく。
で、村にやっとことさ、連れてかえった。
いきさつで、テレビ局が絡んで、
まあ、貧しい村の紹介を見た視聴者から、
たくさんの物資が村に贈られる。
その中に、色とりどりのチョークあり。

子供たちに、先生は、
「ひとり、一文字だけだぜ」
と狭い黒板なので、新しいチョークで、
一人ずつ、25人前後の子供らが、書きおる。
最初、先生が書く。
「天」と書いて、字幕に、「空」と出る。
なるほど、中国語は、「天」が空を意味するのか、と思。
あと、ガキ等が、「家」とか、
いろいろ、書く。
ここは、山崎ナオコーラも書いていたけど、
僕らの母国語ではないのに、漢字だからなのか、
とても伝わる、
のでした。
中国の社会・教養映画で製作されているのだろうけれど、
僕にも、これは、言葉の映画として、最後は思わせるのでした。
本当に、ラストは素敵なので、見て良かったです。
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