kotoba日記                     小久保圭介

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続・ニッャ唐フ小説

2008年02月27日 | 文学
昨夜、布団に入ってから、
高橋源一郎著「ニッャ唐フ小説」の中で記述されている、
詩人、荒川洋治について考えていました。
荒川洋治が文月G誌に連載で、
長期で「日本の文学」について書いていたそうです。
それに呼応するように、
高橋は荒川の発言に言及しています。
それは、「ちからが足りなくて」という章に、
かなり長く書かれてあります。
本書で高橋がいかに荒川に尊敬の念を持って書いているかが、
とても伝わってきて、荒川のことを、
「定点観測」という言い方で書いています。
この「定点観測」という言葉は、
数ヶ月前に、やはり文学評論のことを新聞で読んで、
誰それが、誰かの文剣]論の仕事を、
敬意を込めて、「定点観測者」と書いていたので、
覚えていたのです。

布団の中で、
改めて荒川洋治は正しい、と考えていました。
一番凄いな、と思ったのは、
「小説は一番先頭の人のを読めば良くて、
あとは無視してもいい」
といった発言でした。
高橋じゃないけれど、
「そこまで言っていいのか?」
と思いましたけれど、
たぶん、それは正しいと思いました。
厳しい、荒川は厳しいのです。
それが、今、一番、大切だと思ったし、
奥田民生の言葉じゃないけれど、
「血走ってやらないと」
話にならない、と思いました。

コメント
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