ドラマ「八日目の蝉」を見ました。
先回から見て、おもしろいので、
今日は最終回ということもあって、
楽しみでした。
原作は角田光代、脚本は浅野妙子。
だいたいのストーリーは、
誘拐した子供を、
我が子として育て、
警察に捕まって、
子は実の母親のもとに帰る、
という話。
子供が警察に引き取られ、
母親が叫ぶシーンがあります。
それは先回のシーンですけれど、
大人になった子供が、
育ての親というか、数年を一緒に過ごした母親の、
最後に発した言葉がなんだったのか、
という追跡が、今回です。
そこで、
「その子はまだ朝ご飯を食べてないの」
と叫ぶシーンが今日の決めぜりふ。
現実にこのような状況では、
出てこないせりふ。
ドラマだから出るせりふ「朝ご飯を食べてないの」。
この強い言葉をドラマで聞いた時、
驚いたのと同時に、感動もしたのですけれど、
ドラマが終わってから思ったのは、
「朝ご飯を食べてないの」
という言葉は、小説言語というか、
言葉の世界の中の、言葉であるということ。
後付で考えれば、現実でも、
あの時、叫ぶ母親は、取り乱していて、
「連れていかないで」の他に、
「朝ご飯を食べていないの」と、
言う可能性はあり得ます。
そうも後から理由付けはできるのです。
けれど、
原作がどんなふうかは判らないけれど、
たぶん、角田光代は、
創作の過程のどこかで、
この小説言語、「夢の言葉」を書くために、
「八日目の蝉」を書いていたのではないだろうか、
と思えてきます。
これは、作家の、言葉の醍醐味です。
物語はこういう腹の底から出る言葉のために、
存在する、存在できる、と僕は強く思いました。
角田光代の言葉の凄みに圧唐ウれました。
本人は、このヒットドラマは、
脚本の浅野妙子の世界で、
と謙遜をしていますけど、
いずれにしても、
この二人の作家の仕事は、
僕をどきどきさせました。
「朝ご飯」の意味は、
生きる、ということです。
しかも、肉体に直接の強い言葉ですから、
こういう強い言葉には、
体が先に反応します。
頭は後からです。
この言葉を書ける角田光代の才能は、
判りやすくて、しかも本能、肉体的です。
リンクさせてもらっている、
まりりんさんのサイトでは、
このドラマと、
もう一つのドラマ「Mother」について、
「今、時代は母性を再考しようとしている」
とお書きになっていますけれど、
そうだろうな、と僕も思います。
加えれば、「時代は母性を必要としている」
といってもいいと思います。
以前、「Mother、Mを取ったら他人です」
というコピーがありました。
現代は、「other、Mを付けたら時に母親」
といったところでしょうか。
できれば、最初から見てみたいドラマです。
物語の力強さを、知らされる夜でした。
原作を読みたいと思いました。
先回から見て、おもしろいので、
今日は最終回ということもあって、
楽しみでした。
原作は角田光代、脚本は浅野妙子。
だいたいのストーリーは、
誘拐した子供を、
我が子として育て、
警察に捕まって、
子は実の母親のもとに帰る、
という話。
子供が警察に引き取られ、
母親が叫ぶシーンがあります。
それは先回のシーンですけれど、
大人になった子供が、
育ての親というか、数年を一緒に過ごした母親の、
最後に発した言葉がなんだったのか、
という追跡が、今回です。
そこで、
「その子はまだ朝ご飯を食べてないの」
と叫ぶシーンが今日の決めぜりふ。
現実にこのような状況では、
出てこないせりふ。
ドラマだから出るせりふ「朝ご飯を食べてないの」。
この強い言葉をドラマで聞いた時、
驚いたのと同時に、感動もしたのですけれど、
ドラマが終わってから思ったのは、
「朝ご飯を食べてないの」
という言葉は、小説言語というか、
言葉の世界の中の、言葉であるということ。
後付で考えれば、現実でも、
あの時、叫ぶ母親は、取り乱していて、
「連れていかないで」の他に、
「朝ご飯を食べていないの」と、
言う可能性はあり得ます。
そうも後から理由付けはできるのです。
けれど、
原作がどんなふうかは判らないけれど、
たぶん、角田光代は、
創作の過程のどこかで、
この小説言語、「夢の言葉」を書くために、
「八日目の蝉」を書いていたのではないだろうか、
と思えてきます。
これは、作家の、言葉の醍醐味です。
物語はこういう腹の底から出る言葉のために、
存在する、存在できる、と僕は強く思いました。
角田光代の言葉の凄みに圧唐ウれました。
本人は、このヒットドラマは、
脚本の浅野妙子の世界で、
と謙遜をしていますけど、
いずれにしても、
この二人の作家の仕事は、
僕をどきどきさせました。
「朝ご飯」の意味は、
生きる、ということです。
しかも、肉体に直接の強い言葉ですから、
こういう強い言葉には、
体が先に反応します。
頭は後からです。
この言葉を書ける角田光代の才能は、
判りやすくて、しかも本能、肉体的です。
リンクさせてもらっている、
まりりんさんのサイトでは、
このドラマと、
もう一つのドラマ「Mother」について、
「今、時代は母性を再考しようとしている」
とお書きになっていますけれど、
そうだろうな、と僕も思います。
加えれば、「時代は母性を必要としている」
といってもいいと思います。
以前、「Mother、Mを取ったら他人です」
というコピーがありました。
現代は、「other、Mを付けたら時に母親」
といったところでしょうか。
できれば、最初から見てみたいドラマです。
物語の力強さを、知らされる夜でした。
原作を読みたいと思いました。