弁天通りは、
僕の家から浄心へのまっすぐな通りです。
スーパーに行ったり、図書館に行ったり、
弁天通りを歩いて、または自転車で行き来していると、
最近、康夫さんによく会います。
康夫さんは、弁天通りを、ミスドの角まで歩き、
気分が優れる時は、22号線まで往復しています。
とくに歩くのが好きなわけじゃなくて、
体がなまってしかたがない、
という理由からの、歩です。
康夫さんは、大きな体で、
小さな声で話します。
宮澤賢治の「アメニモマケズ」に出てくる、
デクノボウみたいです。
僕は康夫さんにばったり出会うと、
声をかけます。
自転車から降りて、
立ち話です。
「お元気ですか」
と言うと、
康夫さんは、どうでもいいことを、
もっぱらそれは生活の話ですけれど、
話します。
少し話して、僕が話すのを待っている時や、
ずっと話し続ける時もあります。
たいていは、僕の話はしません。
僕のことなどは、
康夫さんの小さな笑顔の上で横になってしまって、
どうでもよくなります。
康夫さんの話は、
どうしても伝えたいことは、
たぶん何もなく、
ごつごつした話し方の声だけを、
僕は聞くことになります。
「じゃあまた」
と僕が言うと、
「体に気をつけて」とか、
「今度会ったら、」
とは、
いっさい言いません。
「じゃあ」
と僕が言った言葉を、
なぞるだけです。
「あまり飲み過ぎないように」
と僕は言います。
「ああ」
と康夫さんは言います。
そして、手をあげて、
僕は来た道を帰り、
康夫さんも来た道を、
帰ります。
夜になれば、
康夫さんは眠ります。
僕も眠ります。
康夫さんの見る夢は、
どんなだろう、
と思います。
きっとお金のこととか、
そんなこと。
あまりに、
きれいな人なので、
いろいろ大変だろうな、
と思います。
デクノボウは、
西に向かって、
歩きだしましたけれど、
僕は康夫さんの、
背中は見ませんでした。
きっと、
のっし、のっし、
と歩いているに違いありません。
きっと今日も康夫さんは、
歩いていると思います。
ミスド辺り、
目では見えない一本の木に、
印をつけて、また浄心の方へ、
戻ってゆきます。
浄心を過ぎて、
22号線まで、
歩いているかもしれません。
22号線あたりにも、
康夫さんはどこかに印をつけて、
戻ってくるのかもしれません。
その印を、
誰も気がつきません。
康夫さんの手は、
いつもからっぽで、
指と指の間は、
季節の風が、
通り道として、
選んで通ってゆきます。
今、康夫さんは、
どこを歩いているのだろう、
もう家に帰って、
酔っぱらって、
テレビでも見ているのかもしれません。
野球とか、
そういう番組を。
僕の家から浄心へのまっすぐな通りです。
スーパーに行ったり、図書館に行ったり、
弁天通りを歩いて、または自転車で行き来していると、
最近、康夫さんによく会います。
康夫さんは、弁天通りを、ミスドの角まで歩き、
気分が優れる時は、22号線まで往復しています。
とくに歩くのが好きなわけじゃなくて、
体がなまってしかたがない、
という理由からの、歩です。
康夫さんは、大きな体で、
小さな声で話します。
宮澤賢治の「アメニモマケズ」に出てくる、
デクノボウみたいです。
僕は康夫さんにばったり出会うと、
声をかけます。
自転車から降りて、
立ち話です。
「お元気ですか」
と言うと、
康夫さんは、どうでもいいことを、
もっぱらそれは生活の話ですけれど、
話します。
少し話して、僕が話すのを待っている時や、
ずっと話し続ける時もあります。
たいていは、僕の話はしません。
僕のことなどは、
康夫さんの小さな笑顔の上で横になってしまって、
どうでもよくなります。
康夫さんの話は、
どうしても伝えたいことは、
たぶん何もなく、
ごつごつした話し方の声だけを、
僕は聞くことになります。
「じゃあまた」
と僕が言うと、
「体に気をつけて」とか、
「今度会ったら、」
とは、
いっさい言いません。
「じゃあ」
と僕が言った言葉を、
なぞるだけです。
「あまり飲み過ぎないように」
と僕は言います。
「ああ」
と康夫さんは言います。
そして、手をあげて、
僕は来た道を帰り、
康夫さんも来た道を、
帰ります。
夜になれば、
康夫さんは眠ります。
僕も眠ります。
康夫さんの見る夢は、
どんなだろう、
と思います。
きっとお金のこととか、
そんなこと。
あまりに、
きれいな人なので、
いろいろ大変だろうな、
と思います。
デクノボウは、
西に向かって、
歩きだしましたけれど、
僕は康夫さんの、
背中は見ませんでした。
きっと、
のっし、のっし、
と歩いているに違いありません。
きっと今日も康夫さんは、
歩いていると思います。
ミスド辺り、
目では見えない一本の木に、
印をつけて、また浄心の方へ、
戻ってゆきます。
浄心を過ぎて、
22号線まで、
歩いているかもしれません。
22号線あたりにも、
康夫さんはどこかに印をつけて、
戻ってくるのかもしれません。
その印を、
誰も気がつきません。
康夫さんの手は、
いつもからっぽで、
指と指の間は、
季節の風が、
通り道として、
選んで通ってゆきます。
今、康夫さんは、
どこを歩いているのだろう、
もう家に帰って、
酔っぱらって、
テレビでも見ているのかもしれません。
野球とか、
そういう番組を。