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BASEBALL馬鹿 BLOG

オレたちの「深夜特急」~ヴェトナム編 サパ①~

2007-03-02 13:34:14 | オレたちの「深夜特急」
国境の橋を渡りきって、後ろを振り返る。
 つい、数分前までわたしは中国にいたはずなのだが、すでに自分はヴェトナムという国に立っている。しかも、この僅かな距離を歩いただけで、1時間の時差が生じた。したがって、針を戻した時計は、現在7時半なのである。

 ヴェトナム側国境の町、ラオカイはひっそり静まりかえっているようだった。
 わたしは少々緊張していた。
 ヴェトナム側イミグレーションオフィスは旅行者に対して、賄賂を要求することで有名だった。入国を盾に、何かと言いがかりをつけては、金銭を求める、ということは日本人バックパッカーから聞かされていた。
 しばらく歩くと、クリーム色した壁のイミグレの建物が見えてきた。
 驚くことに、町のひっそり感とうって変わって、たくさんの人がその建物の前で押し合いへし合いしている。近づいて見てみると、どうやら、彼ら彼女らは地元の人たちのようだ。これから、隣国へ行って、商売をしようとするいでたちであった。
 
 初めは、その大行列にわたしも並ばなくてはいけないのかと、うんざりしたが、どうやら、他国の旅行者は別の窓口があるようで、わたしはそこに通された。
 他に入国しようとする旅行者はいないらしく、スイスイとわたしは入国手続きを終え、パスポートにスタンプが押された。
 確かに、ヴェトナムの役人の態度は鼻についたが、特に懸念していたトラブルなどなかった。オフィスを出たわたしは余りの呆気なさに思わず大きく息を吐いた。

 国境の事務所横で両替を済ませ、徒歩で、バスターミナルを目指した。
 僅か10ドルの両替だったが、分厚い紙幣が渡された。ヴェトナムは爆発的なインフレーションのせいでお金の単位がやたらと大きい。わたしは11万ドン分の紙幣をポケットに捻り入れた。
 バスターミナルはターミナルという言葉が気恥ずかしいようなこじんまりとしたものだった。わたしはこれからバスに乗って、山間の町、いや村といった方が適当か。小さな集落のサパという地に行こうと考えていた。
 実は、大理で出会った日本人から当時発売されたばかりのガイドブック「メコンの国」(旅行人)とやらを見せて貰い、ラオカイの町から比較的近くにあるサパという村を知った。
 
 「山岳少数民族が行き来する村」「トレッキングなどが楽しめる」らしい。
 それはいい。駆け足で雲南を下りてきた疲れを癒せるだろう。しかも、ラオカイからはバスで2時間ほどの距離だという。
 「サパに寄って南下するのもいいだろう」と考え、サパ行きのバスを探した。
 だが、バス乗り場にバスは一台も見当たらない。
 そこで、サパ行きのバスの時間とチケットを購入しようとわたしはバスの事務所に行ってみた。
 すると、ひとりの老人が、「こっちへ来い」と何やらゼスチュアでわたしを招き入れる。
 チケットは窓口の奥で販売しているのか、と思い、わたしは言われるがままに中へ通された。
 老人は、椅子に腰掛けろ、と英語で言う。
 何か、様子が変だ。すると、熱い緑茶が差し出された。
 そして、老人はおもむろに話しを始めた。
 「先の大戦は大変だったのう」。
 「はぁ」。
 思いもせぬ老人の発言にわたしは言葉がない。そもそも、わたしが戦争を経験していない若造であることは、この老人も充分分かることだろう。
 だが、老人は更に言葉を続ける。
 「ヒロシマ、ナガサキ…」
 その後の言葉は理解できなかった。
 そうして、わたしはバスの出発まで、自ら体験していない戦争の話しをほとんど他人事のように聞き、また話したのである。

 バスの中でも驚くことがあった。
 わたしはバスの最後列に座って、霧が深い山中の景色を眺めていた。バスの中はガラガラだった。
 やがて、学生と思しき一団がバスに乗ってきた。どうやら学校が近くにあるらしい。中学生か高校生かは服装から判断できないが、とにかく十数人の男女がバスに乗り込み、わたしの左右に座りはじめたのである。
 はじめ、彼らは異国の旅人が余程珍しいのか、もじもじとわたしの顔を窺っていた。そのうちの一人の女の子と目が合い、わたしは「シンチャオ」と挨拶すると、彼らは堰をきったように、話しはじめた。

 話しはじめた、と言っても会話が始まったわけではない。
 彼ら、彼女らはカバンから英語の教科書を取り出し、各頁に書いてある英単語を指差して、わたしに様々な質問をしてきた。
 「Where」「from」と指を指す。
 わたしは、「Japan」と答える。
 次に「How」「old」と尋ねてくる。
 「Twenty six」とわたしは指を使って示してみる。
 言葉が通じる度に、彼ら彼女らは歓声を上げた。
 
 今度は、逆にわたしがその教科書を使って質問を試みる。
 「How」「old」。
 皆一斉にヴェトナム語で答えた。指でのゼスチュアから推測すると14歳であろう。
 
 その中で、とりわけ熱心にわたしへ質問する少女がいた。
 何か、聞きたいことがあるとわたしの肩を叩き、すぐさま教科書の単語を指差す。或いは、カバンをごそごそ何かを探したかと思うと、栗のような色合いの柿のような果物を出してきて、仕切りに「食べろ、食べろ」と薦めてくれる。
 素朴で無邪気な可愛い少女だった。

 わたしは少なからず、ショックを受けた。
 中国においては、ただの一度も地元の人と心を通わすことがなかった。だが、ほんの少し国境を越えただけで、人々のメンタリティ、いや国民性はこれだけ変わるものなのか、と。
 バスターミナルの事務所で会話した老人といい、今、わたしを取り囲む14歳の小さな学生たちといい、臆することなく、誰とも仲良く話しができる心の清廉さに、わたしの気持ちは打たれた。
 もし、わたしたち日本人が、バスで異国の青年に出会ったなら、同じような持て成しができるだろうか。少なくとも、わたしには出来ないことであった。

 彼ら、彼女らとのおしゃべりは本当に楽しかった。
 アッという間に2時間余りの時間が過ぎ、運転手が「サパ!」と告げると、人懐っこい少女は「着いたよ!」というような言葉をわたしにかけた。
 わたしは、立ち上がり、彼ら彼女らに「バイバイ」と言うと、彼らも手を振り「バイバイ」と返してきた。

 バスが走り出しても、皆はわたしに手を振り続けていた。
 わたしも、バスが見えなくなるまで手を振った。

■ 写真はバスの車中での一枚。右が熊猫刑事。中央が「素朴で無邪気な可愛い」少女。

※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん氏と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。



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4 コメント

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国民性 (ふらいんぐふりーまん)
2007-03-02 17:44:25
国民性の違いによる人々のフレンドリーさの違いももちろんあると思う。

けど、俺は誰かが言っていた緯度!?論が結構あってるように思うんだ。

それは

「寒い国の人より暖かい国の人のほうがフレンドリー」

「同じ国でも北より南の方が(南半球では逆?)フレンドリー」

というもの。

オレ深のいつかの回で書くと思うけど、結構俺は実際にもそう感じたんだけど師はどうだった?

あと写真、確信犯的にそうなんだろうけど全然どんな顔かわからんよ!(笑)
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緯度論 (熊猫刑事)
2007-03-02 21:25:38
ていうのは、あると思う。
しかし、ここでオレが言いたいのは、雲南省や或いは河口でもフレンドリーな空気がなかった中国だったが、一歩出た途端に打って変わった空気について記しておきたかったんだ。
確かに中国でも南下するごとに人当たりは変わってきたが、結局誰とも会話したことがなかった。
でも、ヴェトナムでは会う人がこのように振舞ってくれた、というのは決して偶然ではないと思う。

写真は補正してないよ。車内が暗く、「写ルンです」で取ったらこれが限界だったんだ。
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Unknown (ふらいんぐふりーまん)
2007-03-02 21:55:09
うん、確かに中国よりヴェトナムの方がフレンドリーではあったね。

なんつってもミニバスに同乗した見知らぬおばちゃんが俺のロンゲをおもむろに引っ張るくらいだからね。(笑)

でも、緯度論についてはヴェトナム後半で、俺はそれを強く感じる。それについては俺のブログで書くと思うよ。

なお、各国フレンドリー選手権で言えば日本もまた、外国人に対してかなりの「ノットフレンドリーさ」なんだろうなあ。

あと、師が写真を修整していないのはちゃんと知ってるよ。あえて補正してなんとなく表情が分かるようにしないことを「確信犯的」とあえて言ってみたんだけど・・・。

セピア度が結構なもんだよね。10年という時の流れを強く感じるよ。
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ははは。 (熊猫刑事)
2007-03-03 20:52:43
セピア色の写真、確かに時代をかんじるねぇ。
カオサンの写真屋で現像してもらったんだ。
やっぱり、退色するんだなぁ。
さて、緯度論については今後の展開、大いに期待しているよ。オレは少しスローペースになるので、よろしく。
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