わんこそばをご存知だろうか。
岩手県盛岡市の名物そば。女性が掛け声とともに、一口分のそばをお椀に入れてくれる。そばの質云々ではなく、食べる演出に重きが置かれたそばである。
男子なら軽く100杯は食べられるだろう。ボクは19年前 、盛岡市内の別の店で156杯を食べた。まだまだいけそうだったが、取引先の目が光る中、156杯で、断念したのである。
ざっくりな感覚で申し訳ないが、わんこ20杯で、100g程度のもり1枚分くらいではないかと思う。したがって156杯だと、ざっと700gだろうか。けっこうな量である。
給仕さんが、食べる人の横に着き、リズミカルにおそばをお椀に入れてくれる。その際、「はいよ」とか、「じゃんじゃん」とか合いの手をいれて、食べる人を鼓舞するのである。空になったお椀は、目の前にうず高く積み上げられ、自分がどれだけ食べたかが、おおよそ分かるようになっている。
もともと、殿様をもてなすものだったとか。それにしても、人件費やお椀の数とか、とにかく贅沢なそばである。
その、わんこそばを19年ぶりにチャレンジした。この店では、給仕さんが、一人に対し、一人つくわけではなく、テーブルに一人がついて、対応してくれる。
そばの味をゆっくり堪能できるわけではない。入れられたそばをさっと箸で流し込む。噛んでる余裕はないから、すぐさま飲み込む。そう、そば本来ののど越しを楽しむことができるというわけだ。
そばの香りは、それほど強くなく、そばを食べているという感覚は希薄。それも50杯を過ぎたあたりから、多くのものはスローダウンし、だんだん惰性で食べるようになる。ボクらのテーブルも例外ではなかった。
60代のお父さんたちは、早々に脱落し、テーブルでは唯一の40代のボクだけが残った。
テンポはスローダウンしたが、まだまだ余力はあった。80杯目くらいから、薬味を変えて、気分転換した。
100杯を越えた頃、他の参加者がボクの様子をうかがっていることに気づいた。
あぁ、これはテレビチャンピオンじゃないんだよな。
食事を愚弄する番組と同じことをしてはいけない。
ましてや、北条さんも目の前にいらっしゃるではないか。
そこで、聞こえてくるのが、五観の偈(ごかんのげ)。曰く
計功多少 量彼来処 : 功の多少を計り彼の来処を量る。
忖己德行 全缺應供 : 己が徳行の全欠を忖って供に応ず。
防心離過 貪等為宗 : 心を防ぎ過を離るることは貪等を宗とす。
正事良薬 為療形枯 : 正に良薬を事とすることは形枯を療ぜんが為なり。
為成道故 今受此食 : 成道の為の故に今この食を受く。
そうか。これは、試されているんだ。
わんこそばを通じて、己がどのように食と通じあうか。
それでも120杯も食べてしまった。でも、まだまだ余力はある。
南無釈迦無尼仏。
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