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BASEBALL馬鹿 BLOG

オレたちの「深夜特急」~インド編 ボンベイ 1 ~

2021-06-21 14:14:17 | オレたちの「深夜特急」

乗り込んだボンベイ行きの列車にはほとんど客は乗っておらず、わたしはいささか拍子抜けした。インドの長距離列車はボックスシートで、白い布が敷かれたベンチシートになっていた。そのシートは前後それぞれ縦に三段並び、計6人が寝られる様に作られていた。昼間は中段のシートが格納され、二段とし、最下段に乗客が座り、最上段は荷物置き場となった。夜になると、格納されていた中段のシートを出して、寝床にした。この日のボンベイ行きの列車は自分の席のあるボックスには誰一人客がおらず、貸切状態だった。

最上段のシートにバックパックをぶん投げ、更にアフマダーバードで買った錠前を巻きつけて鍵をかけた。わたしは最下段のシートに座り、窓からの風に吹かれていた。

とても気持ちがいい。

4月が終わろうとしている今、インドは夏季にさしかかり、年間で最も平気気温が高い季節を迎えた。地域によって異なるが、インドの5月は平均気温が40℃にも達する。アフマダーバードに着いた初日の宿で眠れない夜を過ごすなど、過酷な暑さに身を委ねてきた中、この夜風は本当に心地のいいものだった。

車窓からはほとんど何も見えなかった。列車の車内の灯りはぼんやりと数メートル先を照らすだけで、その先は闇だった。微かに見えるのは乾いた土と低木の風景のみで、その景色はどこまでも続いた。列車は一体どういうところを走っているのか。全く見当がつかなかった。何しろ、数メートル先はとにかく闇なのだ。だだっ広い草原地帯を列車は走っているのか。列車は1時間走り、2時間走ってもその風景に変化はなかった。それにつけても、何もない荒野が延々と続くものだろうか。日本では全く考えられないことだった。

時折、遥か向こうにぽつんと一つの灯りを見つけることがあった。30分に1回くらい、弱々しい灯りが一つだけ、ぽつねんと点いている。一体何の灯りか。人家なのだろうか。もし人家だとしたら、どういう人が住んでいるというのか。何もない荒野の中で。

何時間も変わらぬ車窓を眺めていたが、一向に眠くはならなかった。車内は電灯がいつしか消え、真っ暗になったが、それでもわたしは荒野が広がるであろう、窓の外を見ていた。旅を始めて8か月が経とうとしているが、これまで里心がつくことはなかった。だが、胸に去来する寂寥感は時間が経つにつれて増しているような気がした。インドの南部を目指しているということはどんどん日本から離れていくことを意味した。いや、ロンドンを目指している訳だから、日本から遠ざかっていくことは今に始まったことではない。しかしながら、何故か今このタイミングで日本から離れて行くことに、言い表せないほどの寂しさが募っていくのだ。

 

どうやら、いつしか眠ってしまったらしい。最下段のシートに横たわって、わたしは眠っていた。車内は朝陽に照らされ、眩しいくらいだった。最上段に放り投げたバックパックが無事であることを確認し、わたしは窓の外を眺めた。ごみごみとしたインドの街中がそこにあった。時刻は朝8時。もうボンベイ市内に入っているのだろうか。

カーブに差し掛かり、列車は減速し、徐行運転になった。突如として異臭が漂いはじめ、ゴミの山が線路沿いに目立つようになった。インドではこのような光景は別段珍しくもなかった。だが、長いカーブを抜けようとしたその時、信じられない光景が目に飛び込んできた。線路際の目の前の土手に多くの男どもがしゃがんで、こっちを見ているのである。列車との距離はおよそ3~4mくらい。列車は徐行しており、無数の男どもの視線は自然とわたしに注がれる。思わず、わたしはぎょっとした。突然現れた男どもの姿ばかりでなく、しゃがんでいる彼らの下半身がむき出しだったからだ。要するに、彼らはそこでうんこをしていたのだ。

恐らく、そこはスラムだったのだろう。強烈な異臭は彼らの劣悪な生活環境を意味していた。

強烈すぎるボンベイの洗礼を受けた後、ほどなくして列車は駅に着いた。西洋の駅を思い起こさせる立派な駅舎である。

通称ヴィクトリア駅。イギリス、ヴィクトリア女王の即位50年となった1887年に竣工したこの駅は、女王の名前がそのまま駅名となったのである。列車を降り、プラットフォームを歩いていると、いつしか隣に気配を感じた。随分と大柄な男である。その男を見上げると、彼もわたしの顔を眺めた。その瞬間、彼は「やぁ!」と言った。突然のことに意表を突かれ、「やぁ」と小声で返すのが精いっぱいだった。

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4 コメント

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暗闇 (ふりーまん)
2021-08-07 00:50:24
俺は日本での超田舎暮らしもあったんで、夜の本当の暗闇も知ってるけど、海外のそれは、街灯の少なさや人口密度、そしてこれが一番の理由だと思うけど土地の広さ故に、スケールがでかい場合が多いよね。

あと、日本は他の国に比べると、夜明るくするのが好きなような気もする。欧州とかの都会でも日本ほど明るくないとこが多かった気もするし。日本は明るいゆえに治安が良い、という部分も多分にあるように思う。

ってことで真っ暗闇には、恐怖や不安を煽られるよね。、昔の人の方が圧倒的に幽霊や妖怪なんかを見たのも分かるような気がする。ビビりまくると暗闇になんか見える気がするもんねえ。

さて、師は現ムンバイ行きの列車で混雑以外はインドの王道を体験しまくったようだね。しかし、「並んでうんこ」、最初見たときは俺も超ショックだったなあ。

今回は、朝着だから幾分しんどさは少ないと思われるけど、さて、ムンバイの宿探しではどんな事が起こるのかな。
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Unknown (熊猫)
2021-08-07 16:26:26
多分、そんな暗闇を今まで見たことがなかったんだと思う。
夜の海くらいかな。
その車窓はいつまで経っても変わることなく、続いて。そして時折、小さな灯が見えたりするんだけど、不思議な光景だった。その風景ってどうなっているのか、草原なのか、砂漠なのか、今でも興味深いよ。

この時は、けっこう自分の気持ちも沈んでいて、ブルーだったよ。そこに集団うんこを見ちゃったもんだから。
厳しかったなぁ。

ところで昨日、久しぶりにカレーを作ったよ。雑誌のdantyuに掲載されていたレンジで作るスパイスカレー。驚くほど、簡単に出来た。フライパンや鍋で長い時間作る訳ではなく、簡単にできた。目から鱗だったよ。
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チャパティ (ふりーまん)
2021-08-09 23:44:23
過日、師からチャパティーの話題を振られて、久々に猛烈にチャパティーを食べたくなった俺は、輸入したアタではなく、スーパーで全粒粉を買い、カレー&チャパティーを二回楽しんだよ。

実は、今日の夕食が二回目のカレー&チャパティーだったんだけど、一度目に作ったカレーが、インド風でしかなかったがゆえに、も一つパッとしなかったんで、今回はこれまた久々にインドのおばちゃんカレー本レシピのバターチキン(厳密にはカレーちゃうやん!!)にしてみたんだけど、やっぱ断然相性が良かったよ。

インド式カレー、その殆どが日本カレーのように数時間ガッツリ煮込んだり、また、飴色玉ねぎとかも作ったりしないから、結構短時間で作れるよね。まあ、ホールスパイスを粉にしたりする作業とかで意外に時間食ったりするけど。

インドのカレーはベースが煮込み料理ではなく、炒め料理だからではないかと思うよ。

今日のバターチキンも、骨付き手羽元にしたから少し火が通るのに時間がかかったけど、合計で1時間とかはかかってなかったし。

レンジカレーも、インドのベースの作り方を踏襲した本格派なら、時間かからずフライパン使うより更に簡単にできるんだろうね。

しかし、やっぱ美味いな、本格インド式カレー。
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Unknown (熊猫)
2021-08-10 13:58:33
楽しい夏を過ごしているようだね。
いいね、チャパティ。
アタ―は高いし。アタ―じゃなくてもOKだね。

こないだ、うちはトルティーヤしたよ。もちろん、皮を作って。
基本、チャパティと同じ。ただ、いつも失敗するのが、伸ばした時、うまく円にならないんだよ。しかもかなり打ち粉しないとくっついちゃうし。
自分にとってはハードル高いよ。

かみさんはバスマティライスに警戒感あるし。

今年はもう京都は無理だと思うけれど、師のカレーがいつか食べられることを楽しみしているよ。
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