大田区の某社に出かけようと席を立った午後2時45分、激しく建物が揺れたかと思うと、もはや立っていられなくなり、わたしは席に再び座り込んでしまった。
強くて、長い揺れ。
とっさにこれは尋常ではないと思った。気が付けば周囲に人はいなく、次々と本棚が倒れていく。
わたしは死を覚悟した。
ずいぶん長い時間、揺れに耐えていたような気がする。何度も襲ってくる揺れに。
会社の外に出ると、多くの人が高架の下に集っていた。
会社はそのまま臨時休業となった。
電車は通っていない。
電話も通じない。家族の安否が分からず、とりあえず、どこかで情報を集めたかった。
わたしが向かったのは立ち飲み「たきおか」である。
「たきおか」は多くの人でごった返していた。
そして、皆食い入るようにテレビ画面を覗き込んでいた。
テレビは、とても信じがたい光景を映していた。
それは仙台市内の畑を津波が襲う光景だった。
とんでもないことになったと思った。
わたしは、煮込み(190円)をつまみにしながら、ビールを飲み、その光景を目の当たりにした。
周囲はブルーワーカー、ホワイトカラーの労働者ばかりでなく、子供を背負ったお母さんまでいた。
ビールを飲みながらも皆の顔は青ざめていた。
ビール大瓶1本飲み、わたしは帰宅の途についた。
その後3時間半かけて、家までの道のりを歩いた。
そもそも、わたしが始めた立ち飲みラリーとは、震災などで帰宅が困難になったときのことを想定して始めたものである。
それがこういう形で家まで帰ることになろうとは。
鶯谷の駅前では「ささのや」の前を通りすぎ、日暮里では新装した「中村屋酒店」の前を通った。
かつて、立ち飲みラリーの京浜東北線編で通った立ち飲み屋たち。
子どもたちは、はたして無事なのだろうか。
わたしは、自然と足早になった。
強くて、長い揺れ。
とっさにこれは尋常ではないと思った。気が付けば周囲に人はいなく、次々と本棚が倒れていく。
わたしは死を覚悟した。
ずいぶん長い時間、揺れに耐えていたような気がする。何度も襲ってくる揺れに。
会社の外に出ると、多くの人が高架の下に集っていた。
会社はそのまま臨時休業となった。
電車は通っていない。
電話も通じない。家族の安否が分からず、とりあえず、どこかで情報を集めたかった。
わたしが向かったのは立ち飲み「たきおか」である。
「たきおか」は多くの人でごった返していた。
そして、皆食い入るようにテレビ画面を覗き込んでいた。
テレビは、とても信じがたい光景を映していた。
それは仙台市内の畑を津波が襲う光景だった。
とんでもないことになったと思った。
わたしは、煮込み(190円)をつまみにしながら、ビールを飲み、その光景を目の当たりにした。
周囲はブルーワーカー、ホワイトカラーの労働者ばかりでなく、子供を背負ったお母さんまでいた。
ビールを飲みながらも皆の顔は青ざめていた。
ビール大瓶1本飲み、わたしは帰宅の途についた。
その後3時間半かけて、家までの道のりを歩いた。
そもそも、わたしが始めた立ち飲みラリーとは、震災などで帰宅が困難になったときのことを想定して始めたものである。
それがこういう形で家まで帰ることになろうとは。
鶯谷の駅前では「ささのや」の前を通りすぎ、日暮里では新装した「中村屋酒店」の前を通った。
かつて、立ち飲みラリーの京浜東北線編で通った立ち飲み屋たち。
子どもたちは、はたして無事なのだろうか。
わたしは、自然と足早になった。
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