プシュカルから帰り、アジメールのバスターミナルに戻ったわたしはぐったりと疲れ果てていた。この国の人たちは、必ず何か厄介な揉め事を持ちかけてくる。中国も面倒くさい国だったが、インドは、それ以上にややこしかった。
いつもの食堂で、ターリーを食べ、その帰りに、例の屋台で瓶ビールを買おうとすると、いつもあるはずのビールが見当たらない。
「ビールは売り切れかい?」
ちょっと冗談めいて、わたしが店のあんちゃんに尋ねると、彼は笑いながらこう言った。
「イレクシャンデイが近いから、ビールはない」。
少し間を起き、「イレクシャンデイって何?」
わたしが尋ねると、彼は早口にまくし立てたが、自分の英語力では、全く理解できなかった。
かなり疲れていたから、ビールの1本くらいは飲みたかったが、ないものは仕方ない。黙って、宿に戻ることにしよう。
宿に戻ると、クッターが飛びついてきて、わたしにまとわりつく。どうやら、早く上に行けとせがんでいるらしい。クッターは屋上が好きなのだ。
屋上に昇り、夜風にあたりながら眼下を眺めると、例によって隣の家では、家族団らんの楽しい夕げを迎えている。大家族の彼らは家の軒先でおしゃべりしながら楽しそうに食卓を囲んでいた。いや、テーブルはないから食卓というのは語弊がある。コンクリートの床に直接座り、壁にもたれかかりながら、夕食をとっているのだ。
アジメールの街は穏やかで、とても居心地がいい。このまま、しばらく長逗留しようと思うくらい、わたしは気に入っていた。だから、わたしはこの町に助けられたのかもしれない。
インドを旅してから、既に3週間目になろうとしていた。インドを訪れる観光客やバックパッカーの多くは、アーグラーやジャイプルというインド有数の大都市を巡った後、インドへの失望を隠さないだろう。いや、少なくともわたしはそうだった。だから、このまま西へ向かいインドの国境をまたいで、隣国に行こうかとも思った。けれど、中国を海岸線から横断し、ヴェトナム、インドシナ半島、マレー半島をほぼ縦断、丁寧に旅を続けてきた中、このインドをほんの少しかすめただけで、通り過ぎるというのは、これまでの旅を全て否定しまうような気がした。この苛烈なインドでこそ、本来のバックパッカーとしての真価が試されているのではないかと。幸いなことに、わたしはこのアジメールで英気を養うことができた。こうなったら、インドの最南端まで行ってやろうか。3ヶ月のヴィザだ。時間はまだまだある。
わたしは、急にそんなことを思いつき、インドの地図を広げた。さて、次はどこへ行こうか。
金持ち(バックパッカーで金持ちもないとは思うけど、彼らと比べると、為替レートと旅行出来てるという時点で、すでに金持ちだからね。)旅行者から何某かぼったくってやろうと考える輩が観光地をウロウロしてるから・・・。
でもまた、どの国でも、田舎に行くとそういう輩が激減するんで楽になんだよなあ。
それにしてもクッター、かわいいな。
あと、イレクシャンデー、気になって調べたらどうやら投票日って意味のようだね。インドでは選挙の日には酒は売らないんだなあ。
イレクシャンデイの意味は、そのずっと後に、ボブネッシュから教えてもらったよ。
サンキュー、師よ。
それ故に、何をするにも違和感とか疑問とかが浮かんで、それがストレスや怒りへと繋がっていくがゆえに、疲れるんだろうなあ。
といって旅だから、必ず移動はつきもので、現地の人との新たな接触なく動いていくことはできない訳で・・・。
そう考えると、だからインドでは移動で激しく疲れるゆえに、新たな接触を一度断つ為に移動をやめる、つまり、「沈没」=「長逗留」してしまうのかもなあとか思ったりもするね。
インド人の思考も、日本人とは全く違うね。宗教の違いや雑多な人種がいることの違い、それからカーストというものが社会にあるからだと思う。
沈没は、多分疲れてしまい、動きたくないっていう心理もあるね。インドを旅していたとき、何かよく分からなかったけれど、「自分が求めている場所は、ここじゃない」っていう思いが強くあったなぁ。