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ミニバスにはまたしても定員オーバーの14人が詰め込まれ、一路ホーチミンシティへと向かった。
苦痛は車内が窮屈なだけではない。
なにしろ、そのミニバスときたら、エアコンなどあるわけもなく、まるで蒸し風呂のような暑さの中を走り続けていた。
片道10時間の苦行。
国道一号線といってもそんな大そうなものでもない。
道路は至る所陥没しており、その度にクルマは飛んだり跳ねたり。
だから、3時間後にはわたしの腰はすっかり痛くなり、ただじっと座っていることすら苦痛になってしまった。
それでも、ミニバスは村から村を走りぬけ、出発から8時間を過ごす頃には、少しずつ道もまともになり、少しずつバイクの走る量も多くなってきた。
ホーチミンシティが近づいてきたようだった。
すると、みるみるうちにバイクが道いっぱいに走るようになる。
これが、聞きしにまさるホーチミン名物、バイクの洪水である。
1人乗りよりも、むしろ家族3人、或いは4人でバイクに跨り、道を往来している。
その光景は呆れるというよりはむしろ圧巻だった。
どうやらミニバスはホーチミンシティの中心部に近づいてきたのだろうか。
クルマやバイクの渋滞によってミニバスのスピードも鈍ってきた。
バスストップまではまだ先のようでもあるが、わたしはヴェトナム人の運転手にお願いして、途中で降ろしてもらうことにした。余りにも腰が痛くて我慢できなかったからである。
わたしは、そこからシクロを使って目的地に向かおうと考えた。
目的地とはフォングーラオ通り。つまり、安宿が集まったエリアである。
シクロに揺られること20分。かの目的地に着き、さてホーチミンシティでの安い拠点を探そうかと思っていたところ、案外それは簡単に見つけることができた。
ヴェトナム人の初老の男性が安宿に案内してくれたのだ。
アジアにおけるガイドや案内人は胡散臭い輩で溢れている。もちろん、このヴェトナムにも。
フォングーラオ通りに佇む、案内人トンさんもおもいっきり怪しかったが騙されたふりをして宿に連れていってもらったところ、宿代が2万2,000ドンと比較的安価だった。もしかすると、しっかりトンさんはキックバックを貰っていたかもしれないが、その後トンさんといろいろ話すうちに、トンさんの人柄がとても好きになったのだ。
そんなわけで、わたしはその日からフォングーラオ通り裏、迷路のような小路の一角にある安宿を拠点にヴェトナム最大の商都ホーチミンシティを歩き回った。
ホーチミンはすこぶる快適な町だった。
アジア独特の湿った風とうだるような暑さは、まぎれもなく熱帯というに相応しい。
だが、その暑さもバンコクほどではない。その気候はほどよく気持ちがよかった。
食べ物にも困ることがなかった。
朝はフォングーラオ通りで屋台のフランス風サンドウィッチ「バインミー」を食べ、昼は宿から徒歩十分、ベンタイン市場の食堂でぶっかけ飯を食べた。そして、 なんといっても楽しみは夜食だった。
通りの端っこにコリアン風のバーベキューの店があり、毎晩満員の客でごった返していた。
歩道に出たテーブルは約20席くらいだろうか。毎晩、炭火の煙と肉が焼ける香ばしい匂いで食欲を誘う。
焼肉にはビールがつきものだが、この店にはヴェトナム南部の名物「ビアホイ」を出してくれた。
「ビアホイ」とはいわば自家醸造した手造りビール。味は薄いが、日本のビール系飲料よりも味はよかった。これが、1リットルで僅か8,000ドン。つまり約65円程度だ。
「333」(バーバーバー)は高くて飲めなかったが、これなら水を買うよりも安く、懐を心配せずに毎晩でも飲めた。
この店には多くの日本人が来店した。
まず、その当時日本は空前のヴェトナムブームに沸いていた。
香取慎吾さん主演のドラマ「シクロ」の放映とハノイ直行便の就航によって、多くの学生達が卒業旅行にこのホーチミンシティを選んでいるようだった。
だから、一人でぶらぶら店に行っても必ず誰かと友達になれた。
そして、この店には時折香取慎吾さんにシクロの演技指導をしたというヴェトナム人も顔を出していた。
そして、わたしの好きなヴェトナムコーヒーのカフェにも困ることがなかった。
わたしが通ったのは、通りのはずれにあるカフェ。ここにはものすごくスタイルのいいヴェトナム人女性がきりもりしていた。その彼女のぴったり肌に張り付いた パンタロン姿を見るために、わたしは昼間のひと時をここで過ごすことにしていた。
更にもうひとつ、ホーチミンの魅力にアオザイが制服の女子学生の存在が挙げられるだろう。白いアオザイのその姿はすっかりバックパッカーには評判となっており、ほとんどの旅人は鼻の下を伸ばしながら彼女らの姿態を眺めにいった。
沢木耕太郎氏も「一号線を北上せよ」でこのように記している。
「カメラマンの横木安良夫さんが『サイゴンの昼下がり』という本を出した。その表紙を本屋の店頭で見たとき、強く眼をひきつけられた。そこには、ひとりの若い女性が、純白のアオザイを着て、路上を歩いている写真が載っていたのだ。白いアオザイは、まるで雨に濡れたかのようにぴったりと体に張りついているため、彼女の美しい体の線をくっきりと浮き立たせている。しかも微かに透き通っているため下着のラインまでが見え、それが清楚なエロティシズムを醸し出していた。もちろん、ホーチミンに行けばそんな女性がいっぱいいると思ったわけではないが、行ってみたいという思いは募った。」
旅人にとってアオザイの女性はホーチミン行きのひとつの動機であったことは間違いない。日本人ばかりでなく、西洋人もまた同様の思いを抱いていたと思う。ある日、ヨーロピアンからこんな話しを聞いた。欧州の雑誌で特集されていたらしい。「世界の民族衣装で最も悩ましいのが日本の女子校生のセーラー服。次がアオザイだ。」もちろん、セーラー服は民族衣装ではないが、そんなイメージをヨーロピアンが抱いていることが興味深かった。
わたしは女子校生の下校時間を見計らって、ホーチミンの街を散歩した。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
苦痛は車内が窮屈なだけではない。
なにしろ、そのミニバスときたら、エアコンなどあるわけもなく、まるで蒸し風呂のような暑さの中を走り続けていた。
片道10時間の苦行。
国道一号線といってもそんな大そうなものでもない。
道路は至る所陥没しており、その度にクルマは飛んだり跳ねたり。
だから、3時間後にはわたしの腰はすっかり痛くなり、ただじっと座っていることすら苦痛になってしまった。
それでも、ミニバスは村から村を走りぬけ、出発から8時間を過ごす頃には、少しずつ道もまともになり、少しずつバイクの走る量も多くなってきた。
ホーチミンシティが近づいてきたようだった。
すると、みるみるうちにバイクが道いっぱいに走るようになる。
これが、聞きしにまさるホーチミン名物、バイクの洪水である。
1人乗りよりも、むしろ家族3人、或いは4人でバイクに跨り、道を往来している。
その光景は呆れるというよりはむしろ圧巻だった。
どうやらミニバスはホーチミンシティの中心部に近づいてきたのだろうか。
クルマやバイクの渋滞によってミニバスのスピードも鈍ってきた。
バスストップまではまだ先のようでもあるが、わたしはヴェトナム人の運転手にお願いして、途中で降ろしてもらうことにした。余りにも腰が痛くて我慢できなかったからである。
わたしは、そこからシクロを使って目的地に向かおうと考えた。
目的地とはフォングーラオ通り。つまり、安宿が集まったエリアである。
シクロに揺られること20分。かの目的地に着き、さてホーチミンシティでの安い拠点を探そうかと思っていたところ、案外それは簡単に見つけることができた。
ヴェトナム人の初老の男性が安宿に案内してくれたのだ。
アジアにおけるガイドや案内人は胡散臭い輩で溢れている。もちろん、このヴェトナムにも。
フォングーラオ通りに佇む、案内人トンさんもおもいっきり怪しかったが騙されたふりをして宿に連れていってもらったところ、宿代が2万2,000ドンと比較的安価だった。もしかすると、しっかりトンさんはキックバックを貰っていたかもしれないが、その後トンさんといろいろ話すうちに、トンさんの人柄がとても好きになったのだ。
そんなわけで、わたしはその日からフォングーラオ通り裏、迷路のような小路の一角にある安宿を拠点にヴェトナム最大の商都ホーチミンシティを歩き回った。
ホーチミンはすこぶる快適な町だった。
アジア独特の湿った風とうだるような暑さは、まぎれもなく熱帯というに相応しい。
だが、その暑さもバンコクほどではない。その気候はほどよく気持ちがよかった。
食べ物にも困ることがなかった。
朝はフォングーラオ通りで屋台のフランス風サンドウィッチ「バインミー」を食べ、昼は宿から徒歩十分、ベンタイン市場の食堂でぶっかけ飯を食べた。そして、 なんといっても楽しみは夜食だった。
通りの端っこにコリアン風のバーベキューの店があり、毎晩満員の客でごった返していた。
歩道に出たテーブルは約20席くらいだろうか。毎晩、炭火の煙と肉が焼ける香ばしい匂いで食欲を誘う。
焼肉にはビールがつきものだが、この店にはヴェトナム南部の名物「ビアホイ」を出してくれた。
「ビアホイ」とはいわば自家醸造した手造りビール。味は薄いが、日本のビール系飲料よりも味はよかった。これが、1リットルで僅か8,000ドン。つまり約65円程度だ。
「333」(バーバーバー)は高くて飲めなかったが、これなら水を買うよりも安く、懐を心配せずに毎晩でも飲めた。
この店には多くの日本人が来店した。
まず、その当時日本は空前のヴェトナムブームに沸いていた。
香取慎吾さん主演のドラマ「シクロ」の放映とハノイ直行便の就航によって、多くの学生達が卒業旅行にこのホーチミンシティを選んでいるようだった。
だから、一人でぶらぶら店に行っても必ず誰かと友達になれた。
そして、この店には時折香取慎吾さんにシクロの演技指導をしたというヴェトナム人も顔を出していた。
そして、わたしの好きなヴェトナムコーヒーのカフェにも困ることがなかった。
わたしが通ったのは、通りのはずれにあるカフェ。ここにはものすごくスタイルのいいヴェトナム人女性がきりもりしていた。その彼女のぴったり肌に張り付いた パンタロン姿を見るために、わたしは昼間のひと時をここで過ごすことにしていた。
更にもうひとつ、ホーチミンの魅力にアオザイが制服の女子学生の存在が挙げられるだろう。白いアオザイのその姿はすっかりバックパッカーには評判となっており、ほとんどの旅人は鼻の下を伸ばしながら彼女らの姿態を眺めにいった。
沢木耕太郎氏も「一号線を北上せよ」でこのように記している。
「カメラマンの横木安良夫さんが『サイゴンの昼下がり』という本を出した。その表紙を本屋の店頭で見たとき、強く眼をひきつけられた。そこには、ひとりの若い女性が、純白のアオザイを着て、路上を歩いている写真が載っていたのだ。白いアオザイは、まるで雨に濡れたかのようにぴったりと体に張りついているため、彼女の美しい体の線をくっきりと浮き立たせている。しかも微かに透き通っているため下着のラインまでが見え、それが清楚なエロティシズムを醸し出していた。もちろん、ホーチミンに行けばそんな女性がいっぱいいると思ったわけではないが、行ってみたいという思いは募った。」
旅人にとってアオザイの女性はホーチミン行きのひとつの動機であったことは間違いない。日本人ばかりでなく、西洋人もまた同様の思いを抱いていたと思う。ある日、ヨーロピアンからこんな話しを聞いた。欧州の雑誌で特集されていたらしい。「世界の民族衣装で最も悩ましいのが日本の女子校生のセーラー服。次がアオザイだ。」もちろん、セーラー服は民族衣装ではないが、そんなイメージをヨーロピアンが抱いていることが興味深かった。
わたしは女子校生の下校時間を見計らって、ホーチミンの街を散歩した。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
ただ、凝視したり、無理やり写真撮影をしようとするのはNGだね。
それは欧米人が、女子高の前で、セーラー服の女子を待ち伏せし、凝視し、写真を激写するような行為と、全く変わらない訳だからね・・・。(苦笑)
なお、ホイアンの服屋で、おねーさん達とアオザイ談義をしている時に聞いた話しだけど、アオザイの時には、透ける事を前提に、下着を選ぶって言ってたなあ。
だからあの下着は、見せブラ&見せパンティらしいんだよ。
「あ、そうか、だからレースとかできれいに飾られてるんだな。」とその当時おっさん感心したもんです。
東南アジアの人たちはザ行が上手に言えないよね。だから、やっぱアオジャイが正しいんだろな~。ちなみに、この写真は日本人バックパッカーから頂いたもんです。
女子学生の自然な姿が撮れていていい写真でしょ。
それよりも、インドのサリーはそんな人ばっかりだったような…。
師以上に激しく凝視していたんだろうね。(苦笑)
上記の写真でも分かるけど、スリット部分から、おなかが見えるときがあるのよ。そこに乗っかった肉があったのを確かに俺は見たよ。(笑)