最近、週に1度は昌平橋交差点の角にある「味の萬楽」に通い、おいしいお粥を昼ごはんにしている。
熱々のお粥はさっぱりしていて、濃い味に慣れきってしまったボクの胃を優しくしてくれる。
お店のお姉さんもとても優しく迎えてくれるから、上野3丁目から徒歩で15分ほどかかっても苦にはならない。
たっぷりとある丼のお粥を食べて、すっかり幸せな気持ちで店を出ると、目の前の交差点の向こうに見えるのが昌平橋。さらにその向こうはビル群にすっかり小さくなっている昌平橋駅跡の煉瓦だ。
交差点を渡って、昌平橋を歩く。
この橋は昭和3年。つまり1928年にできたという。かれこれ90年も経つらしい。
橋の真ん中らへんで神田川の上流方向を撮影。頭上に総武線の高架。その向こうは東京メトロ丸ノ内線の高架が見える。
この界隈の古地図をネットで探していると、「昭和毎日」というページで池田信さんという方の撮影した昭和38年(1963年)当時の画像が掲載されていた。
上の画像よりももう数mほど秋葉原寄りのアングルで撮影されたものだが、ほぼ同じ立ち位置といっていいかも。それよりも何よりも、この風景が50年前とあまり変わっていないことにも驚いた。
さて、昌平橋駅だが、昌平橋を渡って神田淡路町方面に行くと、中央線の高架として煉瓦の建造物が現れる。
数百m東には万世橋駅の跡地があり、昌平橋駅跡がその延長線上にある建物のようにも見えるが、つぶさに観察してみると昌平橋駅の煉瓦のほうが劣化が激しい。
昌平橋駅の方がやはり古いのだろうか。
wikipediaによれば、昌平橋駅の開業は1908年。今から105年も前のこと。一方、万世橋駅は1912年のことだから、その4年後ということになる。
もっとも、万世橋駅は関東大震災で崩壊したため、その後再建されたのが1923年というから、15年も昌平橋駅の方が古いことになる。
しかし、今や聚楽グループの飲食店が入居し、ここに駅があったとはゆめゆめ思えないのだが、105年も経つ煉瓦の建物が未だに健在でいることはやはり驚きである。
昌平橋の利用は僅か4年。万世橋駅が竣工されたことで、その役割を終える。
その呆気ない儚さも昌平橋駅の哀愁を感じるところではあるが、しかしながら今もしっかりと活躍しているのだから、運命とは分からないものである。
変わらないものなんて何もないけれど、こうして昔のたたずまいを今に残している建物と風景を目の前にして、ボクはともかく立ち尽くしてしまうのだ。
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