秋の風が少し冷たく感じ、ボクらはお店の中でピザをつまみながら、ビールを飲んだ。
いつもは店のテラスに座り、NYやパリを思わせる、石畳の小路を行き交う人並みを見ながら、ハートランドを飲んでいたが、原宿の喧騒を歩き、すっかり体が冷えてしまったせいもあって、この店にたどり着いたときは、迷わず店のテーブルについたのだった
緩い勾配のついた小路。時には「SEX and the CITY」のNYのような憂いと華やかさを、時にはボブ・ディラン「The Freewheelin' 」のジャケットのように。
その時々によって、小路の映り方は変わる。
そして、また季節は移ろう。
槙原敬之の歌のように。ビールを飲む横顔を見ていると、また季節が巡ってきたんだと、実感した。
だが、定員が、お勧めの料理を営業しにテーブルに来た。5分間もの長い時間、営業トークを聞いているとせっかくNYに飛んだ心があっと言う間に東京に戻された。
ここで、何度ビールを飲んだだろうか。
ボクらの時間。ここでたくさんの話しをお互いにした。
現実ではない、非現実の世界への境界線。それは、NYでもなく、パリでもなく、そして東京でもない。
ボクは透明人間のようだった。このテラスで見る人の流れをボクはゆっくり目で追った。
タバスコをたくさんかけたピザを口にしながら。
今日は歩き疲れたのか。
たった1杯のハートランドがきいてきたみたい。
そのとき、ボクは何故だかこう思った。
多分、この店には、もう2度とくることはないかもしれないと。
そう考えたのは何故だろう。
ボクは、石畳を歩く人に。
次からなるのだろうと、思ったのだ。
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