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師よ。
台風来てるぞ、また。
東京は今日うだるように暑い。そっちはどうなんだ?
2ヶ月の欧州遠征の後、帰国、そして成田、東京、箱根、京都と経由して、関西空港から台湾に出発。この間僅か2日間という強行日程。疲れは出ないのか?俺ならちょっと倒れてるかも。しかし、タフだな、師よ。
師よ。台東にいるらしいナ。かほるさんから聞いたよ。(「ミラノへの手紙」のコメント参照)初めは上野か浅草にいるかと思ったよ。マジで。
飛行機は高雄行きに乗ったのか?まさか、台北から列車を乗り継いで台東入りしたのではあるまいな?かなり遠いぞ。
しかし、台湾の鉄道は情緒的だよ。どこか古びていて、あくせくしていない。アジアの鉄道は全て感傷的だけど、台湾も例外ではなかったナ。
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わたしと妻は一昨年の10月台湾に旅行をした。僅か4日間の旅だったが、なかなか楽しいものだった。この期間中に台北から台湾北部の古都、九份という町まで1時間ほど鉄道で小旅行をした。
火車は満席だった。仕方なくわたしと妻は車内の通路に立つことにした。
しばらくすると、わたしたちの前に座っていた台湾人の老人が話しかけてきた。日本統治時代の日本語教育を示す、流暢な言葉使いだった。実はかつて台湾の本省人が日本語を話す光景を見たことがあった。それは中国福建省の厦門から香港に向かう船に乗ろうとしているときのこと。わたしの並んだ列の横には台湾行きの船を待つ列があり、そこに並んでいた老人グループがわたしに話しかけてきたことがあった。ごく他愛もない会話だったが、その流暢な日本語に少しショックを覚えた。
「瑞芳」という日本の田舎にありがちな火車駅で下り、バスに乗って山の上にある九份という町まで行った。そこは映画「非情城市」の舞台となった、ちょっとした観光地だったが、霧が深い、寂しげな街だった。そこでわたしは妻と牛肉麺を食べ、台湾卑酒を飲んだ。そして、長い列が延々と続く葬列を見たのだった。
帰り際、またバスに乗り、瑞芳の火車駅まで帰ってくると、台北行きの火車が到着するまでまだまだ時間があった。わたしと妻は近くにあった臭豆腐の屋台で強烈な匂いを放つ煮豆腐を買い、また台湾卑酒で腹を満たしたのだった。
台湾の鉄道も時間にルーズだった。それは近隣のアジア諸国とまた同様である。
車窓からうかがう台湾という土地の風景はとりたてて壮観な景色ではなかった。だが、子供の頃によく見た風景が窓の外に流れていく。
旅の風景が痛いほどに心に沁みわたるようだ。
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師よ。
なかなか、便りが来ないナ。
台東にはネットカフェがないのか?
台湾での鉄道旅行はどうだったんだ?
師の心に焼きついた鉄道の旅、聞かせてほしいナ。
そうそう、師の開設するブログにはマレーシアのパンコール島での出来事も収録してくれよ。
師の大会での好成績を祈っているよ。
台風来てるぞ、また。
東京は今日うだるように暑い。そっちはどうなんだ?
2ヶ月の欧州遠征の後、帰国、そして成田、東京、箱根、京都と経由して、関西空港から台湾に出発。この間僅か2日間という強行日程。疲れは出ないのか?俺ならちょっと倒れてるかも。しかし、タフだな、師よ。
師よ。台東にいるらしいナ。かほるさんから聞いたよ。(「ミラノへの手紙」のコメント参照)初めは上野か浅草にいるかと思ったよ。マジで。
飛行機は高雄行きに乗ったのか?まさか、台北から列車を乗り継いで台東入りしたのではあるまいな?かなり遠いぞ。
しかし、台湾の鉄道は情緒的だよ。どこか古びていて、あくせくしていない。アジアの鉄道は全て感傷的だけど、台湾も例外ではなかったナ。
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わたしと妻は一昨年の10月台湾に旅行をした。僅か4日間の旅だったが、なかなか楽しいものだった。この期間中に台北から台湾北部の古都、九份という町まで1時間ほど鉄道で小旅行をした。
火車は満席だった。仕方なくわたしと妻は車内の通路に立つことにした。
しばらくすると、わたしたちの前に座っていた台湾人の老人が話しかけてきた。日本統治時代の日本語教育を示す、流暢な言葉使いだった。実はかつて台湾の本省人が日本語を話す光景を見たことがあった。それは中国福建省の厦門から香港に向かう船に乗ろうとしているときのこと。わたしの並んだ列の横には台湾行きの船を待つ列があり、そこに並んでいた老人グループがわたしに話しかけてきたことがあった。ごく他愛もない会話だったが、その流暢な日本語に少しショックを覚えた。
「瑞芳」という日本の田舎にありがちな火車駅で下り、バスに乗って山の上にある九份という町まで行った。そこは映画「非情城市」の舞台となった、ちょっとした観光地だったが、霧が深い、寂しげな街だった。そこでわたしは妻と牛肉麺を食べ、台湾卑酒を飲んだ。そして、長い列が延々と続く葬列を見たのだった。
帰り際、またバスに乗り、瑞芳の火車駅まで帰ってくると、台北行きの火車が到着するまでまだまだ時間があった。わたしと妻は近くにあった臭豆腐の屋台で強烈な匂いを放つ煮豆腐を買い、また台湾卑酒で腹を満たしたのだった。
台湾の鉄道も時間にルーズだった。それは近隣のアジア諸国とまた同様である。
車窓からうかがう台湾という土地の風景はとりたてて壮観な景色ではなかった。だが、子供の頃によく見た風景が窓の外に流れていく。
旅の風景が痛いほどに心に沁みわたるようだ。
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師よ。
なかなか、便りが来ないナ。
台東にはネットカフェがないのか?
台湾での鉄道旅行はどうだったんだ?
師の心に焼きついた鉄道の旅、聞かせてほしいナ。
そうそう、師の開設するブログにはマレーシアのパンコール島での出来事も収録してくれよ。
師の大会での好成績を祈っているよ。
すっかり日本に戻ってきて隠遁生活だよ。山中に潜伏するかのごとく世俗から離れ、ゴクをつぶしている毎日だ。人間のくず生活まっしぐらで、典型的日本人であれば気分はすっかり不安でぶるぶるドキドキ物なのだろうが、俺にとってはすこぶる快適な生活だ。(苦笑)
さて、台湾は、関空発の飛行機を乗り過ごすと言う、人生でも二度あるかないかの失態を犯し、関空で重い荷物を手にカウンター前で途方に暮れ、しょぼい自分に怒りをぶつけた俺だったが、泣く泣く再び買った、たっかーいチケットで再度出発してみれば、台風直撃で競技などとんでもないと言う状態。
また唯一、一日だけできた競技では、思いっきり勝負所で失敗し、おいしく頂く予定だった賞金を、自ら台風のど強風の中に投げ込む形になってしまい、早々に訳の分からんところに降りて、空を見上げてアホ面でポカーンと口をあける始末。
更にとても楽しみにしていた食事も、中華でありながら泊まっていたのがかなり田舎のホテルで、その辺のおばちゃんが家で作るようなアバウトな飯だったためか、それとも俺の嫌いな味○素が大量に入った至極適当な味付けだったためかすこぶるまずく、悲しくなるほどがっかり。
その上、台風の影響もあってか毎日地獄のような湿気と暑さで、ボーっとなる上、雲底(雲の底の部分の高さ。こいつが高いと条件がいい。)は劇的に低く、飛んでも地を這うかのようなきっついフライトで、楽しさも当社比3分の1と、ほとんど楽しめることがない旅になってしまった訳だ。
台風直撃前日に言った観光地の浜辺で取ったでかいヤドカリと、その道中で食べた肉まんのうまさ、そして帰りの台北で行ったナイトマーケットだけがかろうじて記憶に残る状態だ。
いやあ、それにしても今回の旅は全てに相性が悪かったような気がする・・・・。
で、今回台北から台東への移動は、己のミスもあり時間がなくなったのと、また、鉄道やバスでの移動は時間的にも体力的にもかなりきつい上、飛行機と料金も大きくは変わらなかったため、楽な飛行機で行ってしまった。よって、移動の素敵なエピソードも全く無しだなあ。
と言うことで、今回のパラグライダー修行の旅は一応終了だ。旅についてのなんだかんだは、近いうちに作ろうと思っているブログで紹介しようと思っているからそのうちトラックバックするんで是非見てくれ師よ。
それじゃ、また。
たくさん応援してくれてありがとう、師よ。そして陰ながら応援してくださった皆さんもありがとうございました。
この「師への手紙シリーズ」はかなりヒット率が高かったよ。やはり、他国にいる師がコメントをリアルタイムで返してくるところが興味深かったんだろうね。これは俺自身にとっても同じことが言えて、面白く書けたし、師からのコメントを楽しみにしていたよ。
こういうのを使ってバックパッカーやっていたらすごい人気ブログになるんだろうナ。
でもネットカフェに行ける旅なんて所詮大都市中級都市にいるわけだから、ホントの秘境にいる奴からは書き込みできないわけで。しかし、そんなこともアリだな。
さて、師のブログ楽しみにしているよ。しかし、今のダイヤルアップの環境では厳しいのでは?
この手紙シリーズは今後も続けていきたいと思っているよ。師よ、またどっか行かないか?