コンノートプレイスは落ち着いた街だった。
Ringoゲストハウスに着いた後、わたしはしばらく街を探索したが、パハルガンジに比べると刺激が少なかった。
人の数は少なく、圧倒的なパワーに欠けていた。インド人の服装も洗練されており、中にはジーンズをはく若い女性も目に付いた。食堂といった風情の店はなく、どちらかといえばレストランといった店が軒を連ねていた。もし、わたしがインドに疲弊していた旅人だったら、その疲れを癒すには格好の街であっただろう。だが、インドにたどり着いて、まだ1日も経っていないわたしにとって、この静けさは物足りなかった。
ふと思いついて、わたしはクルターとパジャマーを買いに行こうと思いついた。これらは、インド人男性の普段着である。前者は上衣、後者はズボンを意味し、麻で出来た涼しげな民族衣装だ。コンノートプレイスにも服屋はあったが、どうしても金額がはりそうにみえる。わたしは、歩いてパハルガンジに出てみた。クルターを売る店はいとも簡単に見つかった。
店の中に入ると、店は生地が所狭しと置かれ、その奥から強面のおやじが出てきた。わたしをまるで値踏みするかのように一瞥し、ヒンドゥ語で何かを言った。当然ながら、何を言っているか分からず、わたしは英語で「クルターが欲しい」とだけ言った。
すると、強面のおやじは早口でなにかをまくしたて、何事か理解できないわたしの顔をみると、奥から巻いた生地を出してきて、また何かを言う。
ははぁ、生地はどうするかと彼は言っているのか。
だが、既製品というものはないのだろうか。そう思って、店のおやじに尋ねようとするものの、既製品という英単語が分からない。
まごまごしているのを悟られたくないために、わたしは示された生地の値段を聞いた。
すると、彼は「2,500ルピー」と返してくる。わたしが驚きの顔をしてみせると、彼は「もちろん、パジャマーも含めた金額だ」と英語で答えた。
冗談じゃない。インド人の普段着がそんなに高額なわけがない。
わたしが、踵を返し、店を出て行こうとすると、強面のおやじは「待て、もう少し安いのもある」とわたしに呼びかけた。そうして、更に店の奥から巻物の記事を持ってきて、「これは2,000ルピーだ」という。それでもまだまだ高い。インド人の普段着が6,000円もするのだろうか。わたしは「100ルピーくらいのものはないか」と尋ねると、店のオヤジは唖然とした顔をしながら「チャロ」と吐き捨て、わたしを追い払う仕草をした。
今の仕草をみると、100ルピーのクルターは話しにならないというのはどうやら本音のようだった。すると、クルターは意外と高いものなのかもしれない。わたしは近隣のクルターの店に入り、再び交渉をした。すると、値段は1,500ルピーまで下がったが、やはり高額であることに変わりはない。わたしは店を出て三度、他の店を物色した。やはり、値段はそれほど変わらない。恐らく、オーダーメイドはこの程度の価格なのだろう。わたしは既製品はないのかと身振り手振りで説明したが、彼らは「ない」と口々に言った。
交渉に手慣れてきたわたしは、やがて「一番安価な生地はどれか」という言い方を覚えた。そうやって、6軒、7軒と渡り歩くうち、価格はとうとう900ルピーまで下がった。そうして、更にわたしは、交渉に交渉を重ねることで、750ルピーまで値段は下がった。
「こんなものなのかな」と思い、750ルピーで手を打つことにした。日本円にして約2,300円。なんとなくまだ納得がいかなかったが、さすがに10軒近くも店を回ると疲れてしまった。また、生地の違いはあるにせよ、2,500ルピーからスタートした金額が、750ルピーまで交渉ができたことには一種の達成感に似た気持ちもあった。恐らく、インド人はもっと安価な生地で安価な価格でクルターとパジャマーを購入できるだろう。だが、ここぞとばかりに観光客で儲けようというインド人の商魂に対して、交渉の結果を出せたという気持ちがあり、わたしは妥結した。
クルター屋のおやじはわたしの体の寸法を測ると、仕立ては明日にもできるだろうと告げた。いくらかの前金を支払い店を後にした。
店を出ると、ひとりの男が近づいてきた。
小柄な男はわたしに近づき、やや小さな声でこう言った「チェンジマニー?」
その男は両替屋だった。
「ハウマッチ?」と聞くと、「トエンティーフォー」という。どうやら1ドルが24ルピーらしい。日本円にすると1ルピーは約3.4円だ。ややレートが悪い。
「ノーサンキュー」と男に言うと、「マスター、ハウマッチ?」と逆に男は必死になる。
「トエニーナイン」と返すと、彼は困った顔をした。
そりゃ、そうだろう。
わたしは端から両替するつもりはなかった。
わたしはトラベラーズチェックしか持っていなかったからである。
それでも、この小柄な両替商の男に付き合ったのは、そのやり取りが面白かったからである。
これが、噂に聞くチェンマネ屋かと。
これによって、インドにおけるおおよその適正レートを知ることができた。
わたしが、インディラガンジー空港で両替したレートはそれほどいいとは言えないものだった。1ドル25ルピー50パイサほどだったからである。やはり、トラベラーズチェックは分が悪いなと思ったほどである。
結局、彼は1ドル26ルピー25パイサまでレートを上げた。100ドルの交換ならば27ルピーでもいいと言った。その言葉に少しの動揺を覚えたが、ドル紙幣は持ち合わせておらず、わたしは彼に「また今度な」と言い残して、立ち去ったのである。
ニューデリーの日の入りは遅い。
4月上旬のニューデリーは19時を半分回ってもまだ明るい。
だが、わたしはその明るだが残るうちから食堂を探し、さっさと早い夕食にした。
ターリーは交渉で38ルピーになった。今朝のブランチより格段に安い。一体本当の値段はいくらなのだろうか。
コンノートプレイスに戻る道中、わたしはかなりの疲労感を感じた。
交渉は相当タフだったからである。
何かを買ううえで、毎回こんなことをしなければいけないのだろうか。
インドを旅するうえで、かなりのタフさが求められる。
それは間違いないだろう。
わたしはそう思った。
インドでの交渉は疲れたよなあ・・・。何買うのも地元の人より数倍~数十倍高い「外人プライス」だったから、そこから自分の納得いく金額まで持っていくのは、かなりしんどかった。日本では時間をたくさんかけて価格交渉する事なんてなかったから、ほんとどっと疲れた記憶があるよ。
そして、ある程度納得して買ったのに、その後、他の日本人に聞いたらぼったくり価格だった時の脱力感・・・。
でも今思えば、買った後にリサーチした俺がいけなかったんだと思う。納得したらそれでよしとしておけば、それで良かったんだよなあ・・・。
さて、クルタパジャマだけど、生地や縫製のクオリティーによって大きく値段が変わるのは間違いないよね。シルク・麻・綿・化繊、それぞれで様々な価格のものがあったし、仕立てのクオリティーでもいくらでもコストを調整できるから、ある意味ぼられやすい商品だと言えるだろうね。
それに、化繊をシルクと言われても、目利きができない俺みたいのなら騙されるようなこともあるかもしれない。
事実、インドで買った俺の三種のクルタパジャマは麻ではなく、薄い綿だったり、化繊だったりしたせいで、綿はまあ涼しいけどスケスケ系、そして化繊は通気性が悪く汗だくになるシロモノだったよ。
そしてどれも縫製がすこぶるズサンで、あっという間に破れた。それもけつの部分とかが。(苦笑)ま、安物買いの銭失いの典型だね。
ちなみに、綿の既成品のクルタパジャマは、ヴァラナシで150ルピーだった。ニューデリーでオーダーで750ルピーなら、妥当なとこじゃないかなあ。
そうそう、化繊というと、ヴェトナムはホイアンで仲良くなった服屋さんでオーダーで作ったシャツの生地を、店のおばちゃんや娘さんは「ジャパニーズシルク。」って言っていた。
なんのことだかその時は分からなかったんだけど、後で考えると化繊の事だったんだよね。今は聞かないけど、レーヨンとかそんな奴だったんだろうと思う。あのシャツも南国向きじゃなく暑かったなあ。(苦笑)
俺、ほんと服のセンス無いから、ろくなもん買ってないね。
さて、師のクルタパジャマの仕上がりはいかに。
インドが好きな人と嫌いな人がそれぞれいるのが分かるような気がするよ。日本と違う!というスタンスで、この世界を見たら、多分嫌いになるんだと思う。そして、この状況を楽しまない人はインドはただ苦痛なだけなのかもしれない。
師は3着もクルターを買ったのか。
それは親印だね。
ヴァラナシで150ルピーか。安いな。
自分の場合、全て麻しか生地を見せてもらわなかったな。とにかく、麻が基本型だと言っていた。
クルターとパジャマーは誰もが一度は欲しくなるね。
でも、実際に来ている人はおじいちゃん以外あまりみかけない。
ニューデリー編は書いているだけで、疲れてくるけれど、あの頃のことを思い出して、面白いよ。