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東京メトロの三ノ輪駅を出てから千束を歩き、日本堤を歩いた。
東京都に足かけ10年も住んでいるのに、一度もそこらを歩いたことがなかったからだ。
千束は遊里新吉原。日本堤はいわゆる山谷である。
これらの模様は後の「居酒屋放浪記」に詳述するが、熊猫は居酒屋と銭湯を求めてひたすら歩いたのだ。
日本堤の銭湯といえば、昭和モダニズム建築の名残を残す「廿世紀浴場」が一番に名が挙がるが、今はもうない。残念ながら今年の春にその長い歴史を閉じた。
とりあえず、山谷に行けば、銭湯など簡単に見つかると思っていた。
日雇い労働者が1日の汗を流すための浴場が多くあるのではないかと思ったからだ。
だが実際に銭湯はほとんど見つからなかった。
それもそうだ。
簡易宿泊所の1泊料金が2000円そこそこなのに対し、銭湯の料金が450円にもなる。彼らにとってみれば、銭湯の料金は少々高い。
小一時間ほど歩き回っただろうか。
なかなか、銭湯が見つからない。
こうなったら、千束4丁目に戻って特殊浴場にでも入ろうか、とどれほど思ったことか。
吉野通りを北に向かって歩いてきたが、あと少しで泪橋の交差点に差し掛かろうとしている。もはやこれまでか、思った瞬間、突如として目の前に銭湯が現れるたのだ。
「梅の湯」。
早速、暖簾をくぐり450円を番台に払って中へ入った。
19時すぎの男湯はごった返していた。
20人弱が浴室にいるだろうか。カランは既にいっぱい。辛うじて空いていた入口手前のカランにわたしは腰掛け、体を洗い始めたのだった。
わたしはけっこうかまえていた。
それは、偏見かもしれないが、山谷の銭湯ということで、雑然としているのではないかと考えていた。
だが、実際はとても整然としていた。そして、そこにはいろいろな人がいたのだ。
ヘラクレスのような筋肉を隆々と上半身に付けた人。よぼよぼのお爺ちゃん。
背中に立派な彫り物を入れたおじさん。何の商売をしているのか、怪しげな目つきをしているおじさんなどなど。しかし、恐らくわたしも怪しげな男として彼らの目に映っているのかもしれないが…。
銭湯は、その土地の文化を色濃く映し出していると思う。
見知らぬ町のそれまで知らなかった銭湯に入り、今まで会ったこともない人と裸で風呂に入ることが本当に不思議に思えてくる。
疋田智さんの著作『自転車とろろん銭湯記』(早川書房)の廿世紀浴場の欄に山谷に住む住人のこんな言葉が記されている。
「山谷山谷って味噌も糞も一緒にしてほしくないわよ。普通に生活している人も沢山いるから」。
まさにそうなのだ。
吉原にも、そして山谷にもわたしは少し何かの期待をしていたらしい。
だが、そこに息づく人の呼吸をどうやら感じていなかったようだ。
風呂はとても清々しいものだった。
多少狭くとも、そこには大勢の人の活気で賑わっていた。
今回、一連の銭湯放浪の中で、最も古きよき時代の雰囲気を残していたのが、この銭湯だと思う。
その匂いと温もりをいつまでも残していてほしいと願いながら、番台のおばちゃんにお礼を言った。
そして、最後にわたしはおばちゃんに尋ねた。
「この辺りに立ち飲み屋ってありますか?」
おばちゃんは、「おうねぇ」と小首を傾げながら思案し、「もう、全てなくなってしまったわ」と反芻するようにわたしに告げた。
東京都に足かけ10年も住んでいるのに、一度もそこらを歩いたことがなかったからだ。
千束は遊里新吉原。日本堤はいわゆる山谷である。
これらの模様は後の「居酒屋放浪記」に詳述するが、熊猫は居酒屋と銭湯を求めてひたすら歩いたのだ。
日本堤の銭湯といえば、昭和モダニズム建築の名残を残す「廿世紀浴場」が一番に名が挙がるが、今はもうない。残念ながら今年の春にその長い歴史を閉じた。
とりあえず、山谷に行けば、銭湯など簡単に見つかると思っていた。
日雇い労働者が1日の汗を流すための浴場が多くあるのではないかと思ったからだ。
だが実際に銭湯はほとんど見つからなかった。
それもそうだ。
簡易宿泊所の1泊料金が2000円そこそこなのに対し、銭湯の料金が450円にもなる。彼らにとってみれば、銭湯の料金は少々高い。
小一時間ほど歩き回っただろうか。
なかなか、銭湯が見つからない。
こうなったら、千束4丁目に戻って特殊浴場にでも入ろうか、とどれほど思ったことか。
吉野通りを北に向かって歩いてきたが、あと少しで泪橋の交差点に差し掛かろうとしている。もはやこれまでか、思った瞬間、突如として目の前に銭湯が現れるたのだ。
「梅の湯」。
早速、暖簾をくぐり450円を番台に払って中へ入った。
19時すぎの男湯はごった返していた。
20人弱が浴室にいるだろうか。カランは既にいっぱい。辛うじて空いていた入口手前のカランにわたしは腰掛け、体を洗い始めたのだった。
わたしはけっこうかまえていた。
それは、偏見かもしれないが、山谷の銭湯ということで、雑然としているのではないかと考えていた。
だが、実際はとても整然としていた。そして、そこにはいろいろな人がいたのだ。
ヘラクレスのような筋肉を隆々と上半身に付けた人。よぼよぼのお爺ちゃん。
背中に立派な彫り物を入れたおじさん。何の商売をしているのか、怪しげな目つきをしているおじさんなどなど。しかし、恐らくわたしも怪しげな男として彼らの目に映っているのかもしれないが…。
銭湯は、その土地の文化を色濃く映し出していると思う。
見知らぬ町のそれまで知らなかった銭湯に入り、今まで会ったこともない人と裸で風呂に入ることが本当に不思議に思えてくる。
疋田智さんの著作『自転車とろろん銭湯記』(早川書房)の廿世紀浴場の欄に山谷に住む住人のこんな言葉が記されている。
「山谷山谷って味噌も糞も一緒にしてほしくないわよ。普通に生活している人も沢山いるから」。
まさにそうなのだ。
吉原にも、そして山谷にもわたしは少し何かの期待をしていたらしい。
だが、そこに息づく人の呼吸をどうやら感じていなかったようだ。
風呂はとても清々しいものだった。
多少狭くとも、そこには大勢の人の活気で賑わっていた。
今回、一連の銭湯放浪の中で、最も古きよき時代の雰囲気を残していたのが、この銭湯だと思う。
その匂いと温もりをいつまでも残していてほしいと願いながら、番台のおばちゃんにお礼を言った。
そして、最後にわたしはおばちゃんに尋ねた。
「この辺りに立ち飲み屋ってありますか?」
おばちゃんは、「おうねぇ」と小首を傾げながら思案し、「もう、全てなくなってしまったわ」と反芻するようにわたしに告げた。
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