ゲストハウスに戻ったわたしはすぐさま部屋に入り、バックパックの中身を確認した。
バックパックの奥の方にしまっていたトラベラーズチェックはなくなることなく、袋に入っていた。
ひとまず、わたしは安堵した。
わたしはそのままバックパックに仕舞われた下着を出して、3日ぶりのシャワーを浴びた。
シャワーを浴びながら、汚れた下着やジーパンを入念に洗った。
もちろん、シャワーは水しか出ないしろものだったが、躰や髪の毛をきれいにして、衣類を外に干すと、気持ちはさっぱりした。
わたしはゲストハウスのカフェテリアに出て、サリームを探した。
サリームは勤務中で、わたしの顔をみると、笑顔で挨拶した。
「ナマステ」。
わたしもおうむ返しに答えると、彼は「退院できてよかったな」と言い、「仕事中だから、また後でな」と付け加えた。
わたしは、そのままカフェテリアを出て、近所のチャイ屋に向かった。
チャイを飲みながら、煙草でも吸おうかと思ったのだが、一抹の不安がよぎる。
まだ、完全に体力は回復していないだろう。そんなときにチャイを飲んで大丈夫だろうか。
チャイ屋で使われるコップはたらいの水をくぐらせただけで使いまわされる。ひどいものになると、前の客の唇の後が残っているコップもあり、衛生状態は極めて悪かった。
チャイ屋の前に行き、どうしようか悩んでいると、チャイ屋のおやじと目が合い、「カム」とわたしを呼んだ。
こんなことで躊躇していたら、この先インドでは一歩も進んでいけなくなるだろう。
わたしは覚悟を決めて、チャイを頼んだ。
チャイ屋のおやじは見事な手さばきでチャイを入れた。
右手のポットを頭上にかざし、腰の部分に置いた左手のお椀に勢いよく流す。まるで一筋の水流が空中を舞うように流れ落ちる。
1杯2ルピーのチャイをいただいた。
あぁ、おいしい。
わたしはインドの煙草「ゴールドフレイク」に火を点けて、胸いっぱいに煙を吸った。
久しぶりの煙草もおいしいものだった。
今日も40℃を超えているだろう。
炎天下の中に店のテーブルに腰かけながら、じりじりと灼熱の太陽はわたしの肌を焦がす。インドはなんて過酷な地なのだろうか。
そのインドを今後どのように歩いていけばいいのか。
いや、いっそのこと、インドをすっ飛ばしてパキスタンへ渡ってしまおうか。
チャイを飲み終えて、ゲストハウスに戻ると、サリームが西洋人の男と談笑していた。
わたしを見つけたサリームはわたしに手招きしている。
わたしは彼らのテーブルに近寄ると、サリームはその男性を紹介した。
「イタリア人のマルコだよ」。
マルコは英語でわたしに挨拶した。
強烈な巻き舌の英語はわたしにはほとんど理解できなかった。
「はじめまして」。
わたしは手短に挨拶をした。
一体、この男は何者なのだろうか。
アメリカの俳優ビル・マーリーを悪役にしたような顔をしたマルコは、すでに50歳前後の年齢のようなおっさんだった。
そのマルコは随分サリームと仲がよかった。もう何度もアーグラーに来ては、サリームと会っているような口ぶりだった。
「今夜、3人でパーティをしようぜ」。
サリームはわたしに提案した。
「彼は今日、病院から退院してきたんだ」。
とサリームはわたしを紹介すると、マルコは少し驚くような素振りをして、わたしを見た。
「だからさ、お祝いのパーティをやろう」。
サリームはわたしとマルコを同時に見ながら、笑いながらそう言った。
俺はそういった形で、現地の人や海外の旅行者と接してなかったなあ。
やっぱこの辺は、師と俺のキャラクターの違いかなあ・・・。
外人も俺のことやっぱり怖いって思うんだろうなあ。(苦笑)
さて、どんなパーチーになるのかな?
印度のパーチー、興味あるよ。
いろんな人に会えたのは、ある意味で、自分はノーガードだったんだと思う。
「尊師」(苦笑)とか、「組長」(苦笑)とか、若造にからかわれながら、意外に親しまれてたんだよ。まあそれでも、当時の俺は突っ張ってたから、そんな奴らともそんなに親しくはならなかったんだけど・・・。
よく考えると、そういった俺の深く関わろうとしていない姿勢が、怖い顔にも出てて、余計に人を遠ざけてたんだろうと思うよ。
親しく近寄ってきてくれるのに、どこかで一線を引く。
実は自分にも似たようなところがあるんだよなぁ。
それは今でもあるしね。
師も多分おんなじだろうと思う。
似ていると思うよ。自分と師。