取手からさいたまへ。A藤君とボクはその一週間後、南浦和をさすらった。
南浦和はターミナル駅なのだが、酒場は少ない。京浜東北線の線路沿いに数件の酒場が点在するくらいである。だが、この日のボクらはアグレッシブに店を探しまわった。西口から東口と縦横無尽に歩いた。だが、ボクらのメガネにかなう店はなかった。どの店も決め手がないまま、随分向こう側に見える雑居ビルに赤提灯が見えるのが分かった。ボクらは一縷の望みを託し、その灯の方へ向かった。
店は雑居ビルの中にあった。
「まるさだ」と書いてある。ボクらはとても不本意だった。最後に辿り着いた店が、「これだ!」と思える店ではなかったからだ。
活気もなく、どこか暗い場末の店といったあんばいだ。店は古そうだが、手入れが行き届いているようにも見えない。
けれど、ボクらはもう歩き通しで疲れ果てていた。
「ここでいいかな?」。
それはもう妥協以外の何ものでもなかった。
店に入ると、またもやボクらをがっかりさせた。店は暗く、居酒屋というより、スナックという雰囲気だった。
ボクらはカウンターに招かれた。
思わず内心「あぁ」と天を仰いだ。ボクらは1日中、倉庫で撮影し、へとへとだった。テーブル席でゆっくりしたかったのだ。
まず、瓶ビールをもらうことにした。自分は1本のつもりだったが、カウンターには、スーパードライが2本置かれた。
「まぁ、すぐ飲んじゃうし」。
特に目くじらをたてずに、ボクは「煮込み」、A藤君は、「チーズ」を注文すると、しばらくしてカウンターには、それらが2つずつ置かれた。
さすがに、ボクらは「えっ?」となって、顔を見合わせた。
「次からは、ちゃんと個数を言おう」。
ボクらは、そう示し合わせた。
店は、老夫婦が切り盛りしていた。歳を尋ねると、既に古希を過ぎているという。マスターはかつて、飲食店を経験したことがなく、今回が初めてのチャレンジとのこと。店は、スナックの居抜きで始めたようだ。夫婦とも人が良く、2つの酒肴を出すのは、悪気があるようにも見えない。
次のオーダーから、ボクらはちゃんと個数を告げると、しっかりそれに応じてくれた。
けれど、なんとなく不穏な空気が流れていたのも確かである。
おかみさんは、話好きで、ボクらにあれこれと質問した。会社の所在地から、名前まで、はたまた何故、今夜はここに来たのかと。我々のリサーチに余念がなかった。ボクらも、適当にあしらっていたが、3杯目の「チューハイ」を頼んだ頃、おかみさんは、ボクらに、こんな提案をした。
「一曲歌ってくださらない?」。
「いやいやいや」。
などと言って、断っていたが、少しずつボクらは押しきられ、最後には決壊した。
A藤君は、吉幾三さんの「酒よ」を唄えば、ボクは、ジョージ山本の「みちのくひとり旅」を唄わされた。しかも、おかみさんの攻勢はその後も続き、もう一曲ずつ唄う羽目になったのだ。
「居酒屋さすらい」では、ギター弾き語りを2回ほどしたことがあるが、カラオケは初。熊猫的には不本意である。
だが、ここはおかみさんの術中に、見事ハマってしまったといえる。やはり、そのトラップは老獪だった。けれんみのない笑顔、営業トークなしの話術は、そんな切れ味はなかったが、天然で誘導していたのであれば、それはそれで、素晴らしい誘いだったのだと思う。
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