ジャイプルの安宿「ジャイプルlNN」の前に着いたのは、日付をまたぎ、夜中の1時を回ったころだった。だが、安宿の重厚な門扉は固く閉ざされている。わたしは呆然とした。
インドに着いて、ちょうど2週間たったが、まだインドという地に順応できた訳ではなく、夜中に街に着くというのは、できれば避けたいことのひとつだった。だが、本来ならバスを使えば、定刻で6時間程度の距離というのだが、わたしが乗ってきたバスは途中で故障し、6時間も暑い暑い車中に待たされる羽目になった。
バスの故障によって、目的地の到着が遅れるのは、アジア旅では当たり前のことである。これまでも、バスの故障は、中国で経験済みである。だが、真夜中の到着ともなれば、恨み節のひとつやふたつは言いたくなる。しかも、わたしが乗る安バスには、エアコンなどついてあろうはずもなく、計12時間のバス移動は身も心もズシリと応えた。ペットボトルの水は到底500mlでは足りず、インドでは常に2リットル程度の大きなボトルを持って歩く必要を痛感した。
おまけにバスは快適ではなかった。
いや、アジアのボロバスの凄まじさについて今さら、あれこれ記すつもりはない。これまで、通り過ぎてきた国々で、それぞれのボロバスを経験させてもらった。
ジャイプル行きのバスが快適でなかったのは、隣に座った奇妙な男のせいである。
窓際の席に座ったわたしは、度々うとうとした。まどろんでいると、自分の股間に圧迫感を感じた。目を開けてみても、別段変わった様子がない。気のせいかなと思い、うたた寝の続きをすると、またもや股間が重苦しい。一瞬、股間が何かに抑えらつけられるような感触があるのだ。
これはもう、気のせいではないと思い、薄目をして眠ったふりをしていると、隣から手が伸びてきて、わたしの股間を押した。わたしが目を開けて、隣人に目をやると、彼は手を引っ込め、何事もなかったようにふるまった。
茶髪にピアスをした若い男だった。
彼はもしかすると、わたしを女性だと思ったのかもしれない。ソバージュで、ロン毛の男はなかなかインド社会で見る機会はなかった。一方、彼はゲイである可能性も否定できなかった。
ともあれ、この男のせいで、バスの旅が不快なものになったことは確かだった。
車両にアクシデントが起きたのは、それから2時間後のことだった。予期せぬトラブルで、バスは立ち往生した。そのため、我々乗客はその場で降ろされ、バスの修理を見守った。
アジアのバス旅においてアクシデントはつきものである。事故や故障などわたしはこれまで通ってきた国で一通り経験してきた。
修理している間の6時間、わたしはチャイ屋で過ごす間、耳寄りな情報を地元の若者から聞いた。歩道の一角でチャイを煮立てている露店でわたしは路上にしゃがんで、チャイをちびちび飲んでいると、陽気な若者が隣に座り、わたしに声をかけてきた。
「どうした?」
シーク教の男がわたしに訊く。
「バスが壊れて立ち往生さ」。
わたしが言うと、彼は「インドではよくあることさ。それを受け入れなければ、インドはつまらないものになる」。
彼の言うことはもっともだし、その後のインド旅において、この言葉はひとつの諦観となった。
彼はジャイプル出身の若者だった。話題がなくなったところで、ダメ元で訊いてみた。「安い宿を知ってるか」。すると、彼は「バスターミナル近くにある『ジャイプルINN』という宿に行くといい。君みたいなバックパッカーが大勢泊まってるから」。
それは耳寄りな情報だった。しかも、バスターミナルの近くならなんとか行けるだろう。
バスの修理が終わり、再びジャイプルに向け走り出したのは、11時を回った頃合いだった。アーグラーを出て11時間。時間にすれば大したことはなかったが、わたしは疲れ果てていた。空腹が披露を倍加させていたような気がした。退院からまだ2日、また体力を消耗させては危ない。
やがて、バスはジャイプルのバスターミナルに滑り込み、わたしはバスを降りた。バスの運転手に「ジャイプルINNというゲストハウスは知ってるか?」と尋ねると、「知らない」と言った。予想通りの返答だった。
バスを降りた客はわたしを含めて5名。辺りは真っ暗で、他に人はいない。少し向こうに焚き火のようなものが見えた。その火の方に近づいてみると、そこはチャイ屋だった。
そうだった。バスや鉄道を降りて、宿に行く前は、チャイかコーヒーを飲んで気持ちを落ち着けること。それはヴェトナムで学んだわたしの教訓のひとつだった。
焚き火に近寄り、チャイを1杯注文して、わたしは腰掛けた。灼熱のインドも夜になると、いくらか涼しい。暗闇の中で焚き火は燃え、その周囲に数人の男らが談笑している。ぼうっと彼らの顔が暗闇に浮かんでいた。
「ジャイプルINNという宿を知ってるか?」。
ふいにわたしが彼らに尋ねると、髭をたくわえた男が、指を指し、「あの道を真っ直ぐ行った右側だ」と答えた。インド人に道を訊いていはいけないというのは一つの教訓で、わたしはチャイを飲み終え、彼らにお礼を言って、その道を進んでみると、果たして「ジャイプルINN」は確かにそこにあった。
「おぉ、本当にあった」。
ひとり感動したのも束の間、「ジャイプルINN」は真っ黒い重厚な門扉で閉ざされていた。ノブを回しながら、扉を押してみたが、カギがかかっているらしく、びくともしない。夜中の1時過ぎだ。閉まっているのは仕方ない。
もはや、これまでか。疲れが全身を鉛のように支配した。
俺のジャイプルがどんなだったか確認してみたら、到着時にどえらく腹立つ奴に付きまとわれて散々な目にあってたよ。
それにしても、バスで野郎に触られるとか、もうホント不快以外の何物でもないよなあ・・・。しかし、インドって何故かそういうことがあるんだよなあ・・・。変わった国だと心から思うよ。
知らない街の深夜到着、ほんとやだよなあ。そして開かない深夜の安宿の扉。これも定番といえば定番だよね。
さて、この後果たして無事にチェックインできるのかな。?
確か、師もジャイプルINNだったね。
アーグラーからジャイプルという、インド屈指の観光地は、かなりハードだよ。
この行程でかなり、消耗したなぁ。
こういう観光地だけ巡った日本人旅行者のほとんどはインドが嫌いになっているのではと思うよ。