約10ヶ月ぶりとなる「居酒屋 鬼」の訪問。店主が腕によりをかけて作る料理はプロも顔負けの本格料理ばかりだ。そう、ここは本来の居酒屋ではないが、親愛なる友、鬼に敬愛の意味を込めて、「居酒屋 鬼」として紹介をする。
料理の数々は相手を思うからこそ、素晴らしいものとなる。食べてもらう人に喜んでもらうことが、その目的である。その点、「鬼」の料理はまさにそれ。料理の原点がそこにあるといってもいい。
今回のテーマはずばりアジアだ。
そう、わたしたちは今から15年ほど前、香港で出会い、その後旅をした。道中を共にもしたが、その大半は別々の行動をとった。だが、一緒に戦ったものとして、何故か心がシンクロしている。
それは何故か。
恐らく、わたしと鬼は似ているからかもしれない。
旅の途中で寂しくなったり、行く先々の行動が似ていたり。
だから、食べ物の記憶も恐らくシンクロしているのだろう。
この日、「鬼」が用意したのは、わたしたちが旅をしてきた各国のアジアンフードだ。
例えば、ヴェトナムの「生春巻き」。
例えば、タイの「ヤムウンセン」
そのひとつひとつのクオリティもさることながら、限りなく現地ものと近い食材を使って、忠実に味を再現していることに感動を覚えた。
上記の食べ物はわたしの大好物である。
特に「ヤムウンセン」。
あの辛さがなんともいえない。
ビールはヱビスの白。これがまたうまくてうまくて、勝手に冷蔵庫を開けながら飲みまくる。
そして、これら料理の中でも、わたしが思わず泣いてしまうほど懐かしい料理が出た。
「モモ」である。
「モモ」とは、チベット風餃子というしろものである。
餃子というよりも「小龍包」に汁が入っていないものと想像したほうがいい。具には野菜やマトンの肉が入るが、日本の焼いて蒸す餃子とは違い、ただ蒸した餃子饅頭といったあんばいの食べ物である。
我々はチベットに行ったわけではない。
だが、インド北部やネパールなどで広く食されており、わたしはカルカッタでよくお世話になった。
インドも長い間旅をしていると、マサラの味付けばかりで、次第に食欲をなくしていく。そうしたときに食べた「モモ」はまさにわたしにとっての救世主だった。
だから、わたしはカルカッタにいるほとんどを「モモ」か「バフステーキ」で乗り切った。
「モモ」は思い出の食べ物である。
わたしは涙にむせびながら、「モモ」をいただいた。
懐かしい!
懐かしすぎる!
まるで、走馬灯のように、インドを駆け巡った日々が頭の中で展開する。
そして、タレが秀逸だった。
レシピはよくわからないが、ネイティブのものとは少し違う。鬼のオリジナルブレンド。少し甘く、柔らかいペースト状のタレが「モモ」を更に引き立てた。
なんと素晴らしいもてなしか。
わたしはすっかり上機嫌になり、ついつい話も弾む。
これこそ、もてなしの最上級というものだろう。
鬼よ。
ありがとう。
今度は「居酒屋 熊猫」まで訪問してくれ。
料理の数々は相手を思うからこそ、素晴らしいものとなる。食べてもらう人に喜んでもらうことが、その目的である。その点、「鬼」の料理はまさにそれ。料理の原点がそこにあるといってもいい。
今回のテーマはずばりアジアだ。
そう、わたしたちは今から15年ほど前、香港で出会い、その後旅をした。道中を共にもしたが、その大半は別々の行動をとった。だが、一緒に戦ったものとして、何故か心がシンクロしている。
それは何故か。
恐らく、わたしと鬼は似ているからかもしれない。
旅の途中で寂しくなったり、行く先々の行動が似ていたり。
だから、食べ物の記憶も恐らくシンクロしているのだろう。
この日、「鬼」が用意したのは、わたしたちが旅をしてきた各国のアジアンフードだ。
例えば、ヴェトナムの「生春巻き」。
例えば、タイの「ヤムウンセン」
そのひとつひとつのクオリティもさることながら、限りなく現地ものと近い食材を使って、忠実に味を再現していることに感動を覚えた。
上記の食べ物はわたしの大好物である。
特に「ヤムウンセン」。
あの辛さがなんともいえない。
ビールはヱビスの白。これがまたうまくてうまくて、勝手に冷蔵庫を開けながら飲みまくる。
そして、これら料理の中でも、わたしが思わず泣いてしまうほど懐かしい料理が出た。
「モモ」である。
「モモ」とは、チベット風餃子というしろものである。
餃子というよりも「小龍包」に汁が入っていないものと想像したほうがいい。具には野菜やマトンの肉が入るが、日本の焼いて蒸す餃子とは違い、ただ蒸した餃子饅頭といったあんばいの食べ物である。
我々はチベットに行ったわけではない。
だが、インド北部やネパールなどで広く食されており、わたしはカルカッタでよくお世話になった。
インドも長い間旅をしていると、マサラの味付けばかりで、次第に食欲をなくしていく。そうしたときに食べた「モモ」はまさにわたしにとっての救世主だった。
だから、わたしはカルカッタにいるほとんどを「モモ」か「バフステーキ」で乗り切った。
「モモ」は思い出の食べ物である。
わたしは涙にむせびながら、「モモ」をいただいた。
懐かしい!
懐かしすぎる!
まるで、走馬灯のように、インドを駆け巡った日々が頭の中で展開する。
そして、タレが秀逸だった。
レシピはよくわからないが、ネイティブのものとは少し違う。鬼のオリジナルブレンド。少し甘く、柔らかいペースト状のタレが「モモ」を更に引き立てた。
なんと素晴らしいもてなしか。
わたしはすっかり上機嫌になり、ついつい話も弾む。
これこそ、もてなしの最上級というものだろう。
鬼よ。
ありがとう。
今度は「居酒屋 熊猫」まで訪問してくれ。
しかし、この時からもう、10ヶ月程経ってるんだなあ・・・。おっさんになるとホント時が経つのが早いよ。
あの時の料理は、やっぱり懐かしさが旨さを倍増させてたんじゃないかなあ。共通のアジア旅行の思い出話とあわせて食べる懐かしの料理は、ほんと美味かったな。
モモについてはあの後、家族とも食べてみたんだけど好評だった。中華と違って更にエスニックな香辛料が効きまくりだから旨く感じるのかもしれないね。
なお、レシピについてはこの記事のトラックバックで貼っておくよ。ネットからのパクリだけど・・・。
居酒屋熊猫、是非行きたいね。どんな料理や酒が出てくるのか、楽しみだよ。そうそう、一回ホッピー飲んでみたいなあ。俺、東京居たのに一度も試してないんだよね。
師の料理は素晴らしかったよ。
レシピもありがとう。
一度作ってみる。
師はホッピー、飲んだことあるよ。
ウチに来たとき、東十条っていうとこの居酒屋に一緒に行って。
「初めて飲んだ」って言ってたぞ。
ところで、この時、師といっしょに銭湯に行ってるんだが、なんていう名前の銭湯だっけ?
飲んだ事自体忘れてるくらいだから、味の方もすっかり忘れてしまってるんだけど・・・。どうしようもないな・・・。
なお、あの時行った銭湯は、「天翔の湯」ってとこだね。俺は、今でも時たま行ってるよ。
まぁ、とりとめもない飲み物なのだが。
ちなみに、俺は今夜も飲んできたぞ。
「天翔の湯」。
ありがとう、師よ。
露天がよかったな。
あの濁りぐあい。
次回、行った際、外観の写真を撮ってきてくれよ。
頼むよ。師よ。