バイタクの兄ちゃんが持ちかけてきた話しはこんなものだった。
バンテアイ・スレイまではタクシーで行け。30ドルで行く運転手を知っている。その際は、兵士を護衛につけろ。そうでなければ、途中の検問を越えられない。兵士を雇う金はピンキリだ。
彼は眉をひそめるように私に囁いた。まるで、誰にも知られてはいけないように。
強烈な日差しが照りつけるゲストハウスの中庭で、わたしは暑さも忘れ、彼の顔をうかがった。
胡散臭い話しはアジアの街角にごまんと溢れている。彼がわざわざ耳打ちするようにわたしに囁いた言葉も大いに怪しかった。
しかし、実際問題、彼の言っていることは真っ当であった。
40分もの時間、バイクにまたがって走行することは、物陰に隠れて様子をうかがう武装勢力からは一目瞭然である。また、万が一のためにボディガードを雇うことも、それはそれでいちいち当然のことであった。
問題はやはり、金額だった。
タクシー代の30ドルは法外だった。
このシェムリアップでの1日の生活費は3ドルにも満たない。30ドルもあれば10日間も暮らすことができるのだ。そのうえ、兵士を雇う金だ。彼は「午前中に行って帰るのなら、25ドルが相場じゃないか」などという。合算するとコストは55ドルにものぼった。
このカンボジアに来るまで、わたしは4ヶ月も費やしてしまった。目的とするロンドンまで、まだまだ道のりは長い。金は十分に持ってきたつもりだが、さすがにトラベラーズチェックが1枚、また1枚と減るたびに、果たして、わたしはロンドンまで辿り着けることができるのか、と不安になったものである。
香港は物価が高く、滞在が年末年始に重なったこともあって、余計な金を失ったが、中国、ヴェトナムは1ドルにも満たない宿泊費で乗り切ってきた。厳密に計算はしていないが、この4ヶ月間で使った金は600ドルくらいではなかっただろうか。
それが、僅か1日で55ドルも使おうとは。すっかりケチケチが身についてしまった者としては、大変な散財に思えた。
しかし、バンテアイ・スレイを金銭的な理由で取りやめるのは愚の骨頂であろう。そう思い、わたしは彼に「よし!連れていってくれ」とお願いした。
ただ、最後にタクシー代を値切ることを忘れなかった。
出発は翌日の10時。
タクシー運転手が、このゲストハウスの中庭まで迎えにきてくれる手はずに決まった。
その晩、ゲストハウスのロビーに屯する10人近くいる日本人バックパッカーにわたしは声をかけた。
「明日、バンテアイ・スレイに行かないか」。
タクシーをシェアすれば、当然代金は一人あたり安く抑えられる。
そう思って、彼らに提案してはみたが、誰一人手を挙げるどころか、興味すらわかないようであった。
バンテアイ・スレイには一人で行くことが決まった。
夜、寝床についてもなかなか寝付くことができなかった。周囲のベッドからは既に寝息があちこちから聞こえてくる。どこかでヤモリのトッケーが鳴いている。
一抹の不安があった。何事もなければいい、と。
シェムリアップの朝は早い。
4時ともなれば、既に明るく、人々も起きだして支度をはじめる。
わたしも、それに倣ってベッドから抜け出て、中庭の井戸で水を汲み顔を洗った。
ぬけるような天気のいい日だった。
いつものように、朝食をバインミーで済ませ、市場にコーヒーを飲みに行き、まずいカンボジアの煙草を買って戻ると、見慣れないクルマが庭に止まっていた。
オンボロのセダン。20年前の日本車だった。
イエローキャブではないから、一見タクシーとは分からぬ。
だが、タクシーを斡旋してくれたバイタクの兄ちゃんが、「おーい」と声をかけてきて、ようやく理解できた。
そのクルマで、この日バンテアイ・スレイに行くようである。
サングラスをかけた運転手と思しき男と自動小銃を肩にかけ、国防色の服を身にまとった大男がポンコツのクルマの前に並んでいた。
どちらも胡散臭さを漂わせていたが、頼もしい風格ではなかった。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
バンテアイ・スレイまではタクシーで行け。30ドルで行く運転手を知っている。その際は、兵士を護衛につけろ。そうでなければ、途中の検問を越えられない。兵士を雇う金はピンキリだ。
彼は眉をひそめるように私に囁いた。まるで、誰にも知られてはいけないように。
強烈な日差しが照りつけるゲストハウスの中庭で、わたしは暑さも忘れ、彼の顔をうかがった。
胡散臭い話しはアジアの街角にごまんと溢れている。彼がわざわざ耳打ちするようにわたしに囁いた言葉も大いに怪しかった。
しかし、実際問題、彼の言っていることは真っ当であった。
40分もの時間、バイクにまたがって走行することは、物陰に隠れて様子をうかがう武装勢力からは一目瞭然である。また、万が一のためにボディガードを雇うことも、それはそれでいちいち当然のことであった。
問題はやはり、金額だった。
タクシー代の30ドルは法外だった。
このシェムリアップでの1日の生活費は3ドルにも満たない。30ドルもあれば10日間も暮らすことができるのだ。そのうえ、兵士を雇う金だ。彼は「午前中に行って帰るのなら、25ドルが相場じゃないか」などという。合算するとコストは55ドルにものぼった。
このカンボジアに来るまで、わたしは4ヶ月も費やしてしまった。目的とするロンドンまで、まだまだ道のりは長い。金は十分に持ってきたつもりだが、さすがにトラベラーズチェックが1枚、また1枚と減るたびに、果たして、わたしはロンドンまで辿り着けることができるのか、と不安になったものである。
香港は物価が高く、滞在が年末年始に重なったこともあって、余計な金を失ったが、中国、ヴェトナムは1ドルにも満たない宿泊費で乗り切ってきた。厳密に計算はしていないが、この4ヶ月間で使った金は600ドルくらいではなかっただろうか。
それが、僅か1日で55ドルも使おうとは。すっかりケチケチが身についてしまった者としては、大変な散財に思えた。
しかし、バンテアイ・スレイを金銭的な理由で取りやめるのは愚の骨頂であろう。そう思い、わたしは彼に「よし!連れていってくれ」とお願いした。
ただ、最後にタクシー代を値切ることを忘れなかった。
出発は翌日の10時。
タクシー運転手が、このゲストハウスの中庭まで迎えにきてくれる手はずに決まった。
その晩、ゲストハウスのロビーに屯する10人近くいる日本人バックパッカーにわたしは声をかけた。
「明日、バンテアイ・スレイに行かないか」。
タクシーをシェアすれば、当然代金は一人あたり安く抑えられる。
そう思って、彼らに提案してはみたが、誰一人手を挙げるどころか、興味すらわかないようであった。
バンテアイ・スレイには一人で行くことが決まった。
夜、寝床についてもなかなか寝付くことができなかった。周囲のベッドからは既に寝息があちこちから聞こえてくる。どこかでヤモリのトッケーが鳴いている。
一抹の不安があった。何事もなければいい、と。
シェムリアップの朝は早い。
4時ともなれば、既に明るく、人々も起きだして支度をはじめる。
わたしも、それに倣ってベッドから抜け出て、中庭の井戸で水を汲み顔を洗った。
ぬけるような天気のいい日だった。
いつものように、朝食をバインミーで済ませ、市場にコーヒーを飲みに行き、まずいカンボジアの煙草を買って戻ると、見慣れないクルマが庭に止まっていた。
オンボロのセダン。20年前の日本車だった。
イエローキャブではないから、一見タクシーとは分からぬ。
だが、タクシーを斡旋してくれたバイタクの兄ちゃんが、「おーい」と声をかけてきて、ようやく理解できた。
そのクルマで、この日バンテアイ・スレイに行くようである。
サングラスをかけた運転手と思しき男と自動小銃を肩にかけ、国防色の服を身にまとった大男がポンコツのクルマの前に並んでいた。
どちらも胡散臭さを漂わせていたが、頼もしい風格ではなかった。
※当コーナーは、親愛なる友人、ふらいんぐふりーまん師と同時進行形式で書き綴っています。並行して語られる物語として鬼飛(おにとび)ブログと合わせて読むと2度おいしいです。
「トゥーマッチエクスペンシブっ!」と叫ぶ俺。
「NO高い。NO高い。」と返してくる何故かインド人が現れる幻想が頭に浮かんできたよ。(笑)
さて、この後どんなバンテアイスレイ紀行が待っているのか。
楽しみだな。
バンテアイ・スレイ編は1回で書こうと思ったんだけれど、結局3回になってしまった。
そんなに、山場でもないんだけれどね。
しかし、これだけ引っ張っておいて、次回がつまらなかったら、ブーイングでしょ?