ジャンさんと再会した。昨年の上大岡以来だから、ちょうど1年ぶり。そうか、あれからもう1年が経ったのか。早いものである。あの時がまだ自分は40代だった。そして会社員でもあった。あれから1年、自分は50歳になり、国民健康保健に加入している。
仕事を終わらせ、家族の夕飯をこしらえて東十条の駅に向かった。もちろん私服で。ちなみに最近の自分はいつもジャージである。朝の散歩も、近所のスーパーに行くのも紺色のユニクロジャージ。もはや老人レベルである。さすがにこの日はジャージではないが、まぁほぼ普段着である。
東十条駅北口に行くと、すでにジャンさんは到着されており、酒場へとご案内した。実はどこの酒場に行くか、あれこれと逡巡した。十条の「天将」は閉店してしまったし、「田や」ももう営ったり営らなかったり。コロナは十条の伝統ある酒場を一変させた。最近、自分がよく行く酒場にお連れしようと思っていたが、ふと閃いたことがあった。駅の近くならいつでも来られるが、住宅街にある中華な酒場は中々発見出来ないだろう。ならば、あそこしかないな。「栄楽」!
「栄楽」に初めて行ったのはいつだったか。まだ、お店が移転される前だった。その時は完全に町中華の店舗だった。ただ、その時の記憶は鮮烈だった。ビールは赤星、つまみは豊富。だから、数年してまたリピートしようと思ったのだ。ところが、再訪してみるとお店の様子が一変していた。きれいになっていたのである。恐る恐る、店主に尋ねると、お店は若干移動し、新装したとのこと。外観は完全に居酒屋になった。自分の中ではかなりお気に入りのお店で、元々考えていた今夜の酒場は最近ファンになった店。格が違うから、今夜は「栄楽」に変えた。
東十条北口を東側に出て、すぐ左に折れる。環七はアンダーパスをくぐるのがベスト。もう一本、東側の筋を通るとアンダーパスはなくなり、長い長い信号待ちをしなければならない。しかし、そのアンダーパスを超えると、街並みは一転する。閑静な住宅街になるのだ。それはある意味、異世界かもしれない。あの2chで有名になったきさらぎ駅のような。
駅側から、「栄楽」を目指すといつも道を迷う。それもある意味、トワイライトゾーンなのだけど、この日は違った。すんなりお店に着いたのだ。
そして、店に入ると先客は2人。自分らはテーブル席に就いた。初のテーブル席である。まずは生ビールで乾杯。ジャンさんからは、「独立おめでとう」とのお言葉をいただく。酒の席で、この言葉をかけていただいたのはジャンさんが初めて。もうかれこれ4ヶ月以上も経っているけれど。まぁ、あまりおめでたいとも思ってはいないけれど。
「メジマグロ」に「シュウマイ」、そして季節のもの「銀杏」をいただく。「銀杏」はともかく、お刺身をいただいたのは初めて。これなら酒をいただかなければ。
この店、テーブル席は向かい合って座るスタイルではない。カウンターのように隣同士に座るのだ。自分らの目の前にテレビがあるからいけない。会話の途中でついつい見入ってしまうのだ。やがて、テレビ番組が群馬県の話題になり、中山秀征さんと井森美幸さんがでてきて大盛り上がり。店内の常連らもテレビに呼応しはじめた。またそこに登場するお店は既にジャンさんのご存知のお店ばかりということで、ジャンさんの生解説が始まり、テレビよりも詳細に教えてもらった。一体何処まで群馬愛なんだ。
その後、自分は「ホッピー」白を経由し「生貯蔵酒」にスイッチした。惜しむらくはお酒。せっかく、お刺身がメニューにラインナップされているのだから、お酒は3種類は欲しい。
その後、なんとか牛の「コロッケ」、「煮込み」を追加した。いずれも自分はこれまで注文したことがないもの。「コロッケ」は恐らく手作りだし、「煮込み」も悪くなかった。今までとは違ったお店の魅力を発見できたように思う。
〆はいかにもジャンさんらしかった。「あんかけ焼きそば」。
中華はもう安定の味である。
楽しい宴が終わり、ジャンさんは帰路についた。赤羽から湘南新宿ラインに乗って帰宅するという。でも果たして本当にそうかなと思った。今夜、奥様は北海道にご出張されているとのこと。もしや赤羽から高崎に行っちゃうんじゃないかなと思ったりもした。果たして帰巣本能はどちらに転ぶのか。
ダウンタウンブギウギバンドの「身も心も」夜はまだまだその色を変えずに。。。変えずに、変わらない一帯なのでしょう。
溶け込めたかどうかわかりませんが。私、出る時、隣席にいた馴染みさんに頷いて出ています。目で見送ってくれました。
夜の住宅地は少し怖いものです。静まり返って、家の中にはそれぞれの生活があり、それが遮断されている世界はちょっと不気味です。
〽夜の帳の幕引き係
といった感じでしょうか。
ジャンさんはどこでもすぐに溶け込める人ですね。自分はちょっとダメで、あのお店のお客さんとは未だに話しをしたことがありません。
我が町の老舗の大衆中華の店はほとんど、コロナ禍の影響で閉めてしまいましたよ。
久しぶりに行ってみると、お店がなかったりして驚きますね。あれ? 店がない!
高齢化する町中華にとってコロナは閉業に踏ん切るトリガーだったのかもしれませんね。