
重く垂れ下がった藤の花が、至るところで目に入る季節になった。
藤の花を見ると、国語の時間に出合った正岡子規の「病状六尺」をつい思ってしまう。
そして病に苦しみながら、研ぎ澄まされて放たれた子規の言葉の数々。
「瓶にさす藤の花ぶさみじかけれぱ たたみの上にとどかざりけり」
病床で臥している子規は脊椎カリエスで立つことさえ不可能だから、畳のうえにとどかない藤の花とは、子規自身の足をも指し、この短歌は、作者の嘆きが色濃く反映されているという
というのは、上野に行った時に文化会館の裏手を通ったら、野球場があった。
確か昔から、そこにあったと思うけれど、、、、
しかも、その前を通ったら『正岡子規記念球場』と看板が。
こんな名前がついていたかしらと思いながら、しばし周辺を眺めると、石碑が平成18年に建立されていた。


正岡子規は日本に野球が入ってきた時の最初の熱心な選手であったそうだ。
自身の幼名である「升(のぼる)」をベースボールにひっかけて、「野球(のぼーる)」(笑)という雅号を用いたことも。
「九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす」
などと野球に関係のある句や歌を詠み、文学を通じて野球の普及に貢献し、これらのことが評価され、正岡子規は2002年野球殿堂入りを果たしたという。
正岡子規=病気というイメージばかりが強いけれど、今回そんな面があったことを初めて知った。
教科書でみかける子規の横顔は老成した感があったけれど、30代で夭折。
よく見れば、まだその横顔は若々しい。