昨日は朝3時半に起きて8時半まで仕事。その後、慌ただしく荷作りして三重に帰省。1月は緊急事態宣言発出のため、帰省を控えたので約2カ月ぶりの帰省。午前10時半、東京駅発ののぞみに乗ったが意外に混んでてびっくり。目勘定だが、品川駅で約8割を超える乗車率。新横浜駅を出る時はほぼ満席状態!コロナ禍になって以来、ここまで混んでいる新幹線に乗った記憶はない。
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二人掛けの窓側の席に座ったので富士山がばっちり撮れた。
昨日は朝3時半に起きて8時半まで仕事。その後、慌ただしく荷作りして三重に帰省。1月は緊急事態宣言発出のため、帰省を控えたので約2カ月ぶりの帰省。午前10時半、東京駅発ののぞみに乗ったが意外に混んでてびっくり。目勘定だが、品川駅で約8割を超える乗車率。新横浜駅を出る時はほぼ満席状態!コロナ禍になって以来、ここまで混んでいる新幹線に乗った記憶はない。
昨日は7時半起き。あ~、よく寝た。午前中、庭掃除してから、買い物袋ついでに1時間ラン。今年の走行距離は2,865キロ。昼飯は姪が作ってくれた。いつも深夜までDVDかアマゾンプライムで映画を観て朝9時頃に起きてくる生活。来春から社会人だけど、大丈夫か?
昨日は朝4時半起き。実家でテレワーク最終日。2階の部屋には暖房器具がないから寒い。多少、寒い方が気が引き締まるから良いかな。使い捨てカイロ2つ付けて対応。
昨日は朝5時前に起きて8時過ぎまで実家でテレワーク。午前中、香典の整理と家の掃除。亡くなった親父の服、いつ捨てようかな?
午後はお通夜、告別式などでお経を唱えていただいたお布施を届けに四日市の寺へ。2時間ほど、今後の供養の打ち合わせ。2月末に百カ日供養が終われば初盆まで供養はなく、一段落。12月は3回ほど帰省しないといけない。
夕方6時に奥さんと合流して帰京。9泊10日の長い帰省がようやく終わった。やっと肩の荷が下りた感じ。数ヶ月前から年内に亡くなると分かってはいたけど、実際、亡くなると寂しいね。また今日から気合い入れて仕事です。
昨日は朝6時起き。特にすることはなかったが、朝から身支度で多忙。9時過ぎに家を出て9時半に告別式会式場に到着。午前11時から告別式。1時間ほどで告別式を終え、最期のお別れをして火葬場に移動。1時間半ほどで、お骨になって戻ってきた。改めて生前の父親に感謝です。1週間前の父親は、病床だったが、既に1カ月ほど経ったような時間の流れの早さだった。
昨日は朝6時起き。久しぶりに早朝のジョギングを30分間。今年の走行距離は2,596キロ。
午前9時から自宅で湯灌。湯灌師さんは予想に反して若い女性だった。経験は3年とのこと。故人の体を清め頬に綿を詰め、空いた口を閉じ、白装束の衣装を着せ、1時間20分ほどで完了。プロの仕事でした。映画のおくりびと、もう1回、観たくなった。
午前中、葬儀社の担当者とお通夜の葬儀の打ち合わせ。
午後3時過ぎに実家から棺が運び出され、葬儀会場に移動。午後6時にお通夜が開始。参列者は家族と親戚のみの家族葬で17人。お経を唱えて、お焼香して最後に喪主としての挨拶を終えて滞りなく終了。
17人の参加者中、90歳代が3人、80代後半も3人。皆さん、お元気で何よりです。
昨日は朝7時半起き。一昨日の夜、寝たのが11時だから8時間睡眠。よく寝たー!午前中、近所に親父の死去を伝えるため、挨拶回りを3軒。1年ほど空き家状態になっていた隣の家が数日前から電気がついているので挨拶に行った。幼馴染のM君が長年住んだ九州からUターンしたとのこと。もう40年以上、会ってなかったと思う。少し太っているけど、面影はある。妹さんが市役所に勤めているらしく、福祉のことや相続については遠慮なく市役所に聞いた方が良いとのアドバイスもらった。思い切って挨拶に行って正解だった。冴えてるぞ、花輪!
午前中、葬儀社の人が来て御遺体のドライアイスの交換。お通夜、葬儀まで1日空いたことで準備に余裕が持てて良かった。
午後から親父がお世話になっていた四日市のお寺を訪ねた。宗教のことはよく分からないが、納骨は分骨も可能らしい。いずれ、お骨は仏壇と京都の西本願寺に納めることになると思う。父親の遺言で「墓はいらない、仏壇だけで良いと」のことなので墓を買う予定はなし。
一昨日から血圧が下がっていた父親が日付けが変わった20日午前0時27分に老衰で旅立った。88歳と52日。3週間、自宅で過ごし、最期は家族に看取られて旅立っていった。亡くなった2時間後の午前2時半に葬儀社の担当者が到着。2時間、お通夜と葬儀の打ち合わせ。そのまま寝ずに4時半から9時まで仕事。午前中、死亡届を出すため、市役所へ。親戚関係の連絡等を終えて、やっと午後に1時間半の仮眠。
午後4時半にお坊さんが来られて、お経を唱えてもらった。落ち着いたのが午後8時頃。怒涛の1日だった。お坊さんの都合で1日空けて22日がお通夜、23日が葬儀。
昨日も朝4時半に起きて実家でテレワーク。5時半頃、妹の「お父さんの息がおかしい」と階段の下から叫び声。1階に降りてみたら、これまでのハアハア、ゼイゼイではなく、ハアハアぐらいになっていた。でも喉ぼとけ辺りは動いていて息はあった。
午前中、訪問の看護師さんに聞いたら、血圧が今までで一番下がり、心肺機能が低下しているとのこと。心配だ・・・。昼前に仕事を同僚に任せて葬儀社に行って互助会に入会の手続き完了。亡くなってからの入会はできないので慌てて入会。間に合って良かった。これで特典(割引サービス)が受けられる。
昨日も実家のかつて自室だった部屋でテレワーク。仕事を終えてから葬儀社に行って葬儀の段取りについて聞いてきた。3年前に亡くなった親友や義父のお通夜、葬儀は亡くなってから数日、間が空いたけど、桑名は亡くなった翌日がお通夜、そのあくる日が葬式らしい。数日、日が空くことは、ほとんどないとのこと。関東は人口の割に葬儀場が少ないのか?
死亡診断書を書いてもらって死亡届の提出からお坊さんの手配etc、いっぱいすることある。亡くなる前に聞いておいて良かった。母親は1日でも延命して欲しいらしく、頻繁に話かけているが、反応なし。ズルズルと延命、何とも複雑な気分。闘病生活が長いせいか、あまり悲しさは感じない。感覚がマヒしてる。妹、姪たちも同じ感情とのこと。母親を除き、落ち込みはなく、皆な妙に明るい。
仕事で12時間拘束され、6時間睡眠、その他の6時間が飯、風呂etc。単調な生活で飽きてきた。できれば一旦、千葉に帰りたいんだけどなあ。コロナ感染拡大のなか、頻繁に名古屋ー東京を往復するのは気が重い。悩ましい晩秋だ。