→ こちら
長野県阿智村の村長 原さんが 国の命令に背いてポスターを隠したわけは そのポスターの語るものは......
原村長は村長として多くの若者を戦地に送り込んだ、だが若者たちの多くは戻ってこなかった。
村長は戦争でなくなった長男の遺品を大事にしていた。かたわらに中国で戦死した長男への想いがつづられた日記
「公的には実に死処を得た死である。だが 一方骨肉の情としては耐えられない。もっと大切にしてやれなよかった。もっと通信してやればよかった。」
軍隊から重い病気を患って帰ってきた次男は家で看取った....「もったいないことをした。」
戦争ポスター「君のため なにか惜しまん若桜 散って甲斐ある命ありせば」
国民は国の大義に熱狂した。
日本はどのように戦争になだれこんだのか
「御国のために」 「聖戦」 「家庭の金属回収」 「国民心身鍛錬運動」
もっとも多いのが 国債を買うことを求めたものと 「貯蓄」 「貯蓄債権」 「貯蓄報国」
国民からあつめたお金を戦費に使いつくした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/7f/a1e4622118a2955a8db2c7884785fb83.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/5f/c6df94738a4c79927e2b7505ba9b9fda.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/b0/875fd876343b0555686e0477d7738ae1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/4d/81c420e1cdbf18acb3cb6fc8ac8f8982.jpg)
戦費は じつに 国家予算の8割にのぼった。国債は強制的に町内会に割り当てられ 金をだしあって買った。当時の国債は払い戻されることはなかった。
「一億一心 銃後の護りを固めましょう。」
「戦線は資源を求めて南洋へ」
日本を代表する画家も戦時ポスターを書いた。横山大観 タケウチセイホウ
ポスターを見て 少年たちは戦争にあこがれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/fd/01349f1df14e7c067a456d06ebaff2ff.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/5c/1f9e9db66ecd105398024e0eb2e11465.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/a4/c0b1bd34803e5fb8c0560333b70a195b.jpg)
「屠れ 米英」
無言館(戦没画学生の作品を展示)にも一枚あった。 京都の片桐彰さん 「貯蓄せよ 敗戦 恐るべし」
片桐さんは マリアナ諸島で 21歳で戦死.......
ポスターを見た小学生
「戦争はわるい方に向かっているのに このポスターは ウソをついて いいことのように描いているようでした。」
今も ウソ ははびこっている。
「いつか役に立つだろう」 そういってポスターを遺した村長のことばが身に沁みる。