音楽の喜び フルートとともに

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蝉の声

2008-08-13 23:33:59 | Weblog

閑けさや 岩にしみ入る 蝉の声 

今年はセミが少ならしいですが、やっぱり私の近所ではたくさんのセミの声が聞こえています。この写真はクマゼミですが、芭蕉がこの句を読んだ時、どの種類の蝉の声を聞いたのか、論争になったことがあるそうです。昭和2年、斉藤茂吉がアブラゼミだと言えば、ドイツ文学者の小宮豊隆がニイニイゼミであると主張しました。結局芭蕉が訪れた7月13日。山形市、立石寺辺りで鳴いているセミはニイニイゼミと、多少ヒグラシであることがわかり、茂吉は自説を撤回したと言ういきさつがあるそうです。

しかし、芭蕉は句を舌の上で千回転がして、句を考える人。弟子の曽良がつけていた日記による事実とは違う創作…句を生かすためにいろいろと創作や細工を巡らしていたことがわかっています。

儚い命を思わせる蝉と、岩にしみ入らんばかりの命がけの鳴き声。懸命で、耳を圧するほどのセミの鳴き声そして、それを閑けさと表現している。といえば、やっぱり、アブラゼミかと思うのですが、芭蕉にしてみれば、この句のテーマである命の儚さが伝わることが重要で、蝉の種類はどうでも良かったような気もします。そして日本の夏を体験してきた人なら、ほとんどの人がその声と、生と死がイメージできた。そういうことが大切だったのではないかと思います。

こういう感性は、その土地の自然と強く結びついています。

だからと言って他の土地の人に、そういう感性が無いと言うわけではなく、ヨーロッパは緯度が高いので、虫が日本に比べて少ないですが、命の儚さを暗示する虫はいます。蝉ではなくて蝶だそうです。死に行く騎士のそばに蝶を描いたりしています。蝉と蝶では絶対に違う。その違いはとても大切で絶対に一緒にはなりません。しかし、その違うけれど、心としてはわかるような気がする。私たち日本の音楽ではなく、西洋音楽を学ぶものは、そこの違うけれど、同じというところを、繊細に大胆に追求して行くところが、興味深く、おもしろいのだと思います。


お祭りの夜

2008-08-13 00:24:59 | Weblog

また海にきてしまいました。images大鳴門橋のすぐ近くの鳴門海水浴場、今日であったのはピンクの鯛とシマアジ、鯛のことを言うと、みんなに「何で獲らない!」とつっこまれましたimages泳いだ後は吉野川天然温泉で露天風呂と塩サウナimagesパーキングエリアの観覧車、橋も映したけど携帯では無理みたいimages明石海峡大橋、ぎりぎりかなimagesこれは近影、携帯では限界images日帰りで行くにはちょうどいい感じです。徳島は今日から阿波踊り。見ないで帰ってきましたが、祭りの準備があちこちでされていました。阿波踊りのリズムは、ドボルザークのソナチネ4楽章に出てくる付点のリズム。

私はお祭り大好き。コンサートもお祭りのようなものかもしれません。私はこう見えて祭り好き。小学生のころは、子ども会の盆踊りは最後までおどって、ヨーヨーとか、アイスキャンデーをもらいました。大学生の頃は、友達に頼んで、地元民でもないのに、だんじりを曳きに3年も通いました。だんじりはオルフの「カルミナ・ブラーナ」か、ストラビンスキーの「春の祭典」って感じですが。お祭りに行くと、人の力を感じます。お祭りの間は争いも中止し、仕事も中断。全て棚の上にあげて、協力してお祭りを楽しむことが一番の優先事項になります。音楽もそのために使われます。

しかし現代の世界のお祭りオリンピックの開会式でプーチン氏があの美しい花火を見ながら、戦争をしていたなんて、誰が想像したでしょう?祭りをしながら戦う。主催国は少数民族を弾圧をする。この理念との乖離を世界中が赦す社会は、私にはもう絶望的に病んでいるとしか思えない。国連が有効に動くといいのですが…。