音楽の喜び フルートとともに

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原爆の日

2009-08-06 21:58:08 | 哲学

黄実の千両。今年は豊作。だからって、食べられない鑑賞するだけです。

今日は、広島に原爆が投下された日です。
今朝なぜだか、高校の頃の先生の話を思い出しました。
上田春雄先生。「はるおちゃん」と、私も含む、女子高生から呼ばれていた美術の教師。色の白い、もう定年間近、いえ定年すぎていたかもしれないです。真面目な教師ではなかった…時々、いえ頻繁に授業中、アルコールの匂いがしました。
高名な画家だと自称していました。そのせいで、酒は問題にならないのだと私達生徒は思っていました。
でも、きらいではなかった。飄々としたおじいちゃん、っていう感じ。

彼は、良く戦時中の話をしてくれました。
東京芸大は、超難関校で、美術科出身の彼は、真っ先に徴兵された。けれど、頭が良いから、エリートとして、将校にならされました。
どこだったか、激戦地に送られて、ほとんどの部隊の人が戦士したけれど、自分の部隊は戦死者はでなかったそうです。なぜなら、「銃は撃つな。人を殺さなくてもいい、殺されるな。逃げ回れ。生きて帰ろう。」と彼が部下に命令したからだそうです。

ひめゆり部隊の女子生徒を教えていたことがあって、30年ぶりに、その生き残り、たった、6人だったか。旅館の一室で会ったけれど、お互いに一目見て、くるりと背中を向けて後は、涙、涙で何も言えなかったそうです。

当時は、飄々と話す彼の話を、何処まで本当なんだか?と大して真面目にも聞いていなかった。
でも、今になって良く思い出します。思い出すのは美術とはずれた話ばかりですが。

父は昭和4年。「田舎にすんでたから、戦争が間違っているとか、生きて帰ろうとか、国が変だなんて思いもしなかったし、思っている人はいなかった。」
なんとなく、今まで「そうだろうなぁ」と思っていました。
はるおちゃんの話も聴いていたのに、父の言っていることの方が事実のように捉えていた私がいて。
戦争まっしぐらが日本国民全員の意見だと思い込んでいた自分がいて。田舎は特にそうだと。

そうではない人が政府や軍隊の中にも、一般国民の中にも、田舎の人の中にもいたという事実は、無かったことのように思っている自分がいます。父がすべての人のことを知っているわけではないのに。

事実を科学的に見ない。すべての人の意見が一致しないとならない全体主義。個人が自分の頭で考え判断しない。それこそが戦争を引き起こしかねないというのに。強制されることなく、自らはまっている自分がいます。
それは、自分が、何かの理由があれば、核兵器のスイッチを押すかもしれない。ということだと思います。「みんなが良いといっているから。」なんて、理由で。恐ろしい。