恭仁京に流れる小川。昨日次男が行ったときに写真を撮ってきてくれました。護岸工事をしてない、土手の小川は目にしなくなってきました。
子どもの頃、近くを流れる寝屋川の支流、春になるとたんぽぽの花が咲いて、一面黄色の土手。
ダンボールをお尻に敷いてすべった土手は、一雨降ると、全く昨日と違う形の土の溝が無数に出来て、新しい遊びがまた生まれました。
蛙や蟹、バッタ、とんぼ、蛇にざりがに、蛍もたくさんの生命にあふれていた土手。
70年代に多くが、暗渠や、コンクリートに固められてしまいました。
下水道工事が進み、また、戻ってきたところもありますが、以前に比べて土手はぐっと減ってしまいました。
顎関節を触るようになってから、本当に体が楽になりました。舌の動きも快調です。
ただ、身についた癖はなかなか取れず、演奏の途中ですぐに固くなってしまいます。
「痛みがあると、その痛みを紛らわすために、別の痛みをひき起すよ。」
確かに顎関節から、肩、指、腰と同じ側ばかりが悪いです。何度も演奏を止めて、固くなった場所を緩めては、演奏します。練習時間の配分が、演奏している時間が以前に比べてずっと短くなりました。
それでも、演奏の質が以前よりましになっているのがわかります。
痛みや、凝りを無視して、どんどん練習していくスタイルで、どんどん癖を強化していったことが今ではわかります。と言っても緩め方もわからなかったわけですが・・・。
子ども達にも、何度もやみくもに勉強させて、仕事をした気になって、質の悪い学びを提供していたなぁと思います。まず自分の身体の声を聞き、自分を愛するレッスンをすることで、子ども達への関り方も変ってくるとそう思います。
白い朝顔。朝顔は、8世紀に中国から日本に輸入され、いろいろ交配されて、数え切れないくらいたくさんの変種があるそうです。青色が原種だそうですが、遺伝子の一つでも欠損すると白色が咲くそうです。
練習しても間に合わないかもしれない…って思う時、多々あります。
しかし、仕方ないぎりぎりまであがき続けることが、きっと大切なんだと思います。一生かけても無理かもしれない、結果だけがすべてだと思うことは最近なくなってきました。年取ったのか。気が長くなったのか。
3ヵ年計画とか、5カ年計画とか結構平気です。…明日死んじゃうかもしれないのに。
人生は死ぬまでのひまつぶし。楽しんだものの勝ち。どんなことも、プロセス。経過点の一つに過ぎない。
どこまで、自分の力を伸ばすことができるか?それだけが大切なことなんだと思います。たぶん。
と言っても悟ったわけでもなく、まだまだ、あがきますけどね。
練習しても間に合わないかもしれない…って思う時、多々あります。
しかし、仕方ないぎりぎりまであがき続けることが、きっと大切なんだと思います。一生かけても無理かもしれない、結果だけがすべてだと思うことは最近なくなってきました。年取ったのか。気が長くなったのか。
3ヵ年計画とか、5カ年計画とか結構平気です。…明日死んじゃうかもしれないのに。
人生は死ぬまでのひまつぶし。楽しんだものの勝ち。どんなことも、プロセス。経過点の一つに過ぎない。
どこまで、自分の力を伸ばすことができるか?それだけが大切なことなんだと思います。たぶん。
と言っても悟ったわけでもなく、まだまだ、あがきますけどね。