今日、校庭で、子どもたちを見ていると空が鉛色に曇って、雪が降ってきました。ずっと雨だったので、子どもたちは元気一杯で校庭を走り回っていましたが、私は寒くて凍えそう、じっとしていても寒いので、「サッカーしよう!」という子どもに少しつきあって身体をあたためました。
フェランディスの演奏を聴いていたら、自分は本当に音を大切にしていなかったと思います。それから、窮屈。もっと、自由に。
音と音の間をあんなに空けてもいいんだ。
それにあんなに小さな音。
音楽をするものがみんな、一音を一音を大切にと思っているし、自由にと思っているし、PPはPPでと思っています。
では、どうすることが、本当に大切にしていることなのか?PPってどれぐらいの音なのか?自由ってどのあたりまでのことなのか?初めはわからない。
これぐらい演奏できればいいのかな?と思っていると、もっと自由に演奏する人が出てきたり、もっと繊細に大切に演奏している人に出会ったりして、大切にするって言う意味は、こういうことなんだ、とまた置き換わります。
見て、聴いた感覚をイメージしながら演奏すると、もう以前と違う演奏をしている自分に気がつきます。
科学変化したみたい。フェランディスの演奏ではないけれど、フェランディスが混ざって、何かが生まれた気がします。
高校の先生、大学のクラブの講師、先輩、S先生、ギオー先生、ラルデ先生、ラリュー、kさん、私の演奏の中に全部入っている。その上に今また加わって、
早く誰かに聴いてもらって確かめたい。