同じ体格、同じ能力、同じえさを与えたねずみに、60回同じようなストレスを与えると、一方のグループは、生き残り続け、一方のグループは、すぐに動けなくなります。この二つのグループのねずみは何が違うのか?
あるいは、二つの行き来できる箱の中央に電気ショックを与える仕切りをし、片方の箱にのみを入れます。しばらくして、仕切りを取り除きます。
同じ条件で育ったのみなのに、あるのみは、仕切りがなくなったにもかかわらず一方の箱にとどまり続け、動かない。しかし、あるのみは自由に行き来します。
動かないのみを、安全な一方の箱に移動させても戻ってしまいます。
この違いは何によるものか?
同じような身体、能力、教育、育ち方をしても試練が与えられた時、ある人はあきらめ、ある人は突破します。
それは何によるのか?
体験や経験に積極的に向き合い、行うかどうか?で、同じ体験をしてもその意味は違ってきます。
同じ教育を受けて、その時結果を出せても、学び方が、能動的であるか、受動的であるかで、その意味は全く違ってくるということです。
同じテストの結果を出していても、学び方によって、その意味は全く違う。
痛みやストレスが、何によるものか科学的に見れていれば、仕切りがなくなった時、行き来できるはず。
能力を伸ばしたかったら、あるいは、ただ生き残りたかったら、学び方を学ぶ必要があります。
大人の頭で、判断し、過去の自分の体験で分析しても、学びは起きない。
新しい経験を自分に保障し、その体験を味わうと決めなくては。