京都F先生のレッスンに行きました。
ふたばの前の出店の八百屋さんでうすいえんどうを買いました。

お餅は出町柳商店街で柏餅を買って帰宅。
こしあん、つぶあん、味噌あん。
出町橋からの風景。
ふたばの豆餅食べたかったなぁ。



が開業したカフェハウスに通い、コーヒーを飲みながら作曲していたそうです。
6月自泉会館でギターとするイベールの「間奏曲」と8月のモーツァルトカルテットのCdurを見てもらいました。
帰りに出町柳のふたばさんで豆餅買おうと行ったら、GW過ぎ休暇で明日まで休みでした。がっかり。

ふたばの前の出店の八百屋さんでうすいえんどうを買いました。
えんどう豆を持って、払おうとしたら、
「これで豆ごはん炊いたら美味しいんやけどなぁ。どうしよう?」と老婦人に声掛けられました。
「美味しいですよ〜。ねっ!」と店主の男性に声掛けると、「えっ…!う、うん。うん。」
と戸惑ったように応えたのを見て、ここは京都…大阪と違うかった。と思い知った次第。
でも、老婦人は豆を買って店主も豆が売れてほくほく、私も老婦人も夕飯に同じ季節の豆ごはんを頂いている幸せな図が心の中に浮かんで、温かい気持ちになったのでした。

お餅は出町柳商店街で柏餅を買って帰宅。

こしあん、つぶあん、味噌あん。

出町橋からの風景。
ふたばの豆餅食べたかったなぁ。
豆といえば、ルートヴィヒ ヴァン ベートーヴェン(1770-1827年)
はコーヒーが大変好きだったようです。
コーヒー豆は1杯60粒と決めていたそうです。
1812年ピアノ教師フリードリヒ シュタルケに「非常にうまいコーヒーだけの朝食」をガラス製のコーヒー沸かしで出したそうです。
1816年医師カール フォン ブルシーはベートーヴェンの家で「コーヒーを沸かしているガラス製のフラスコ」をみています。
1822年、ウィーンに滞在したダルムシュタットの音楽家ルイ・シュレッサーは回想記でベートーヴェンを訪問した際の思い出をこう語っています。「コーヒーは最近考案されたコーヒー沸かしで淹れ、しかもその構造を詳しく説明してくれさえした」そうです。
1683年オスマン帝国の第二次ウィーン包囲の後、

残された物資の中からコーヒー豆を発見したのが、オーストリアにおけるコーヒーの始まりとされていますが、実はそれ以前も交易によりコーヒー豆が輸入され、1665年頃からカフェハウスがあったそうです。

1763年ネル式ドリップコーヒーが発明され、ベートーヴェンは最先端の飲料を最先端の飲み方で飲んでいたようです。
家で飲むだけでなく、「青い瓶」というオスマン帝国の包囲のあとコーヒーを見つけたという噂のジョセフ コルツキー

が開業したカフェハウスに通い、コーヒーを飲みながら作曲していたそうです。
ベートーヴェンの死後開業の当時の雰囲気を伝えるカフェハウス

1876年開業のウィーンカフェハウス

1896年開業のウィーンカフェハウス

1876年開業のウィーンカフェハウス

1896年開業のウィーンカフェハウス
1809年に書いた「トルコ行進曲」はベートーヴェンがコーヒーを飲みながら、大好きなコーヒー伝来の地へ思いを馳せて書いたのかもしれません。