野茨の花。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/d4/0279976fede0709e09943ceeb740aa13.jpg?1652846838)
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の書いた詩です。
自由都市フランクフルト アム マインの裕福な市民、祖父が蹄鉄工から身を起こし、旅館経営とワインの取引で財を成しました。
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に恋をします。
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先週行った淀川の川べり
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たくさん咲いていました。
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たくさん咲いていました。
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「野ばら」Heidenrösleinは、ヨハン ウォルフガング ゲーテ(1749-1832年)
神聖ローマ帝国自由都市フランクフルト ア厶 マイン生まれ、ザクセン ヴァイマール アイゼナハ大公国ヴァイマール没
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の書いた詩です。
自由都市フランクフルト アム マインの裕福な市民、祖父が蹄鉄工から身を起こし、旅館経営とワインの取引で財を成しました。
自由都市とは、地主や領主から逃れ、皇帝直属の都市で一定の範囲で自由が赦されました。
そのもとで商取引を行い繁栄しました。
帝国議会に代表を議員として送っていました。
1799年ナポレオンの侵攻でドイツ連邦ができましたが、その連邦の基礎になりました。
ゲーテは3歳で幼稚園に入り学びましたが、7歳で天然痘にかかり、以来自宅で家庭教師に6カ国語を修得、図画、乗馬、演奏、ダンスなどを学びました。
14歳で近所の親戚の娘グレートヒェン
に恋をし、失恋。後の「ファウスト」に登場させます。
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16歳ライプツィヒ大学法学部に入ります。法学部は父の意向で勉強には身が入らず、レストランの娘、アンナ カトリーナ シェーンコプフ
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に恋をします。
「アネッテ」詩集を彼女を題材に書いていますが、都会的な彼女に嫉妬心を募らせ破局します。
19歳で病気(おそらく結核)になりフランクフルトの実家で療養します。
そこで母の親戚スサンナ フォン スフェッテンベルクと知り合い、宗教的対話を通して自らの宗教観を深めます。
1770年フランス領シュトラースブルク大学に入学。
シュトルム ウント ドラング(疾風怒濤)運動の創設したヨハン ゴットフリート ヘルダーのもとへ通うなど文学的素地を広げます。
その頃、シュトラースブルク郊外ゼーゼンハイムに出かけ、牧師の娘フリーデリケ ブリオンと出会います。
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周囲からも暖かく見守られ、親しく付き合いますが、自ら終止符を打ちます。
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その時に作られた詩が「野ばら」です。
この詩は人気で若きウェルテルの悩みを書く前にヒットしました。
111の曲があるそうですが…本当かな?
有名なところでは
シューマン、ブラームス、
シューベルト、ウェルナーが同じ詩に曲をつけました。
どの「野ばら」がお好きですか?
ベートーヴェンとは1812年にカールスバードの温泉地で知り合っています。「野ばら」を書きましたが、途中で終わっています。
また、モーツァルトの「すみれ」はゲーテの詩に寄るものです。
ゲーテはこの後も女性遍歴を繰り返しますが、フリーデリケは一生独身を通したそうです。
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シューマンの「野ばら」
ブラームスの「野ばら」
ヴェルナーの「野ばら」
シューベルトの「野ばら」
シューベルトの「野ばら」