2月2日は節分。
葛飾北斎画:『北斎漫画』
『吉田神社追儺』 - 都年中行事画(1928年)
曾我蕭白《雪山童子図》(鬼)(1764年)。
を戸口に立てておいたり、寺社で豆撒きをしたりするようになりました。
ノルウェー国旗の盾を持つバイキング姿のトロール(マグネット製)
イプセンからグリーグへの手紙(1874年1月23日)
アーサー・ラッカム山の王の城にて
うちではいわしの煮付けと、小さな鰯の唐揚げを食べました。
恵方巻も今年は切り分けた巻き寿司一本を3人で分けておしまい。
節分(せつぶん、せちぶん)は雑節の一つで、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日のことだそうです。
節分は「季節を分ける」ことも意味しているそうです。
江戸時代以降は特に立春の前日を指す場合が多いです。
太陰太陽暦(旧暦)では、立春に最も近い新月を元日とし、月(太陰)の満ち欠けを基準(月切)にした元日(旧正月)と、太陽黄経を基準(節切)にした立春は、ともに新年ととらえられていました。
旧暦12月末日(大晦日)と立春前日の節分は、ともに年越しの日と意識されていたことになります。
季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると信じられていたため、それを追い払うための悪霊ばらい行事が執り行われていました。
葛飾北斎画:『北斎漫画』
『節分の鬼』豆撒き
宮中での年中行事であり、『延喜式』では、彩色した土で作成した牛と童子の人形を大内裏の各門に飾っていました。
「土牛童子」ともいわれ、大寒の日の前夜の夜半に立てられ、立春の日の前夜の夜半に撤去されました。
平安時代頃から行われている「追儺」から生まれました。
中国から伝わったこの行事は日本に定着していき、現在の節分の元となりました。
『吉田神社追儺』 - 都年中行事画(1928年)
『続日本紀』慶雲三年十二月の条によると706年にこの追儺が始まっています(「是年天下諸国疫疾百姓多死始作土牛大儺」(この年、天下諸国に疫病あり。多くの民が死に、はじめて土牛を造り大儺(だいだ)す)。
曾我蕭白《雪山童子図》(鬼)(1764年)。
これが室町時代に使用されていた「桃の枝」への信仰にかわって、炒った豆で鬼を追い払う行事となっていきました。
近代、上記の宮中行事が庶民に採り入れられたころから、
当日の夕暮れ、柊の枝に鰯の頭を刺したもの(柊鰯)
を戸口に立てておいたり、寺社で豆撒きをしたりするようになりました。
鬼を撃退するためにタントラを唱える空海を描いた葛飾北斎 (1760–1849) の肉筆画
西洋音楽の中で鬼と言うとゴブリンやトロール。
ゴブリンは、洞穴、木立に住み、幼い子を食べる、概して邪悪なものです。
「死者とともに現れ、人間へ妖精の食物を食べるよう誘惑します」
醜く不愉快な小鬼
悪戯好きな家付きの妖精
教会の墓地の地下や岩の裂け目、古い木の根元に住む妖精
を指し、彼らはピレネー山脈の割れ目から発生し、ヨーロッパ全土へ広まったといわれています。
森のトロール (テオドール・キッテルセン, 1906).
トロールは、北欧の国、特にノルウェーの伝承に登場する妖精の一種です。
当初は悪意に満ちた毛むくじゃらの巨人として描かれ、それがやがて小さい身長として描かれました。
変身能力があるのでどんな姿でも変身できます。
鼻や耳が大きく醜いものとして描かれることが多い。
別格のトロールたちには二つまたは三つの頭があります。
ノルド語の「Troll」は、怪物や妖精を指す一般名詞で、『巫女の予言』ではスコルについて「トロッルの姿」をしていると表現され、『エッダ』(神話)では「トロッルは天の輪を呑みこむ」とあります。
腕力が強く、魔術を使います。
ノルウェー国旗の盾を持つバイキング姿のトロール(マグネット製)
一般的なトロールについてのイメージは、巨大な体躯、かつ怪力で、深い傷を負っても体組織が再生出来、切られた腕を繋ぎ治せます。
醜悪な容姿を持ち、あまり知能は高くない。凶暴、もしくは粗暴で大雑把、というものです。
エデュアルド グリーグ(1843-1907年)スウェーデン=ノルウェー ベルゲン生まれ、ノルウェーベルゲン没
1867年イプセンの依頼により彼の戯曲「ペール・ギュント」にグリーグが音楽をつけました。
イプセンからグリーグへの手紙(1874年1月23日)
戯曲「ペール・ギュント」のあらすじ
落ちぶれた豪農の息子で、母オーセと共に暮らしている夢見がちな男ペール・ギュントは、かつての恋人イングリを結婚式から奪取して逃亡します。
しかしイングリに飽きたら彼女を捨て、たまたま出会った緑衣の女(トロルの娘)と婚礼寸前まで行くが逃げ出します。
密かに帰宅しましたがその場で病床のオーセは息を引き取ります。
再び逃亡したペールを追ってきた純情な女ソルヴェイと恋に落ちますが、そこへ緑衣の女が奇怪な小児を連れて現れたので、ペールはソルヴェイを待たせたまま放浪の旅に出ます。
山師のようなことをやって金を儲けては無一文になったり、精神病院で皇帝になったり遍歴した後に老い、身一つで帰郷します。
死を意識しながら故郷を散策していると、ボタン職人と出会いますが、彼は天国に行くような大の善人でもなく地獄に行くほどの大悪党でもない「中庸」の人間をボタンに溶かし込む役割の職人でした。
「末路がボタン」というのだけは御免だと、ペール・ギュントは善悪を問わず自分が中庸ではなかったことを証明しようと駆けずり回りますが、トロルの王も「やせた男」もそれを証明してくれませんでした。
彼は最後の証人として会ったソルヴェイに子守唄を歌ってもらいながら永眠します。
ペール・ギュントが訪れる山の王の宮殿でトロールたちが踊ります。
アーサー・ラッカム山の王の城にて