音楽の喜び フルートとともに

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アントレ行列の曲

2025-02-01 09:00:00 | バロック
7日にお参りした上賀茂神社。
お社の奥の神山に神が降臨されたことで神山をお祀りしている世界遺産。


葵が御神紋で源氏物語で、光源氏が葵祭の主役勅使代(天皇の命を伝える役割)を務めたことが書かれています。

葵の御神紋
大學のゼミの出席扱いになるので葵祭を見学に行ったことも…。
葵の花を飾って平安時代と変わらない装束で行列が行きます。

御所を出発して下鴨神社を経由して終点が上賀茂神社です。
葵祭は4月。冬は静かです。
節分祭の準備中でした。

レオポルド モーツァルト(1719-1787年)神聖ローマ帝国自由帝国都市アウクスブルク生まれ、神聖ローマ帝国ザルツブルク大司教領ザルツブルク没

1719年、アウクスブルクで製本師の父ヨハン・ゲオルク・モーツァルト(Johann Georg Mozart 1679年-1736年)と母アンナ・マリア・ズルツァー(Anna Maria Sulzer 1696年-1766年)の長男として生まれました。
父方は代々石工職人、母方は代々織師でした。

1737年、ザルツブルク大学に入学。哲学と法律を学ぶはずでしたが、音楽に熱中して1739年に退学となりました。
ザルツブルクの名門貴族トゥルン=ヴァルサッシナ・タクシス伯爵家の従僕兼楽士として採用され、以後、本格的に音楽家としての道を歩み始めます。

1743年、ザルツブルク宮廷楽団のヴァイオリン奏者(無給)に採用され、以後ザルツブルク大司教シュラッテンバッハ伯ジークムント3世(Siegmund III. Graf von Schrattenbach) 1753年 - 1771年


の元で仕えます。

1747年、アンナ・マリア・ペルトゥル(Anna Maria Pertl 1720年-1778年)

と結婚。
7人の子供をもうけますが、成人したのは三女の愛称ナンネル(Nannerl 1751年-1829年)

と三男のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756年-1791年)

のみでした。

1747年、ザルツブルク宮廷室内作曲家に就任。
1757年、宮廷作曲家の称号を授与されます。

1758年、ザルツブルク宮廷楽団第2ヴァイオリン奏者に就任。
1763年、宮廷副楽長に昇進。この後死ぬまでこの地位に留まりました。

1785年、ウィーンへ赴きヴォルフガングと再会。これが2人の最後の別れとなりました。
この時、息子の勧めでフリーメイソンに入会しています。

1787年、ザルツブルクでナンネル夫妻らに看取られて68歳で死去し、聖セバスティアン教会の墓地に埋葬されました。

ザルツブルク・聖セバスティアン教会にあるレオポルトの墓石(右)。中央はコンスタンツェの墓石。

ザルツブルク司教と決別していたヴォルフガングは臨終の床に立ち会わず、葬儀にも参列できませんでした、

友人のゴットフリート・ジャカン(Gottfried Jacquin)宛の手紙で
「最愛の父が死んだと知らされた。僕の心境を察してくれるだろう!」と悲しみの情を吐露しました。

アントレ Entree -はバレエの始まりに演奏される曲で、この曲に乗って行列して入場します。




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