子宝弁慶草 カランコエ属
葉っぱから増殖中。
先週行った月ヶ瀬やぶっちゃの湯の駐車場に生えていました。
なんだか可愛くて不思議な植物です。
子宝のたくさんいる作曲家といえばヨハン セバスチャン バッハ(1685-1750年)神聖ローマ帝国ザクセン選帝侯領アイゼナハ生まれ、神聖ローマ帝国ザクセン選帝侯領ライプツィヒ没
マリア バルバラとの間に7人。
マリアが亡くなった後に アンナマグダレーナと結婚し、さらに13人。
女の子9人、男の子11人の20人の子宝がいて、より実入りのいい仕事を探し、賃上げ要求も何度もしていました。
「バターを塗り過ぎるな!」と節約を子どもたちに強要したりしたそうです。
ゲオルグ フィリップ テレマン(1681-1767年)神聖ローマ帝国ブランデンブルク選帝侯領マグデブルク
生まれ、神聖ローマ帝国自由ハンザ都市ハンブルク没
も結構子だくさん。
も結構子だくさん。
アマ-リア ルイーゼ ユリアーネと27歳で結婚し、娘を1人もうけますが、1年でアマ-リアは亡くなります。
1714年マリア カテリーナと再婚。
9人の子どもを得ます。
カテリーナはギャンブル好きで、1720年までにテレマンの年収を超える借金を作り、不倫の噂もあって、1736年にはテレマンの家を出ていて、1775年修道院で生涯を終えます。(テレマンより長生きしました。)
借金はハンブルクの商人たちが肩代わりしたそうです。
1755年長男のアンドレアスが亡くなります。
74歳のテレマンは、アンドレアスの7歳の息子で孫のゲオルグ ミヒャエル テレマン(1748-1831年)を引き取ります。
ゲオルグ ミヒャエルは音楽家で神学者になります。
1765年テレマンが亡くなると、ハンブルクの音楽監督後任にバッハの息子カール フィリップ エマヌエル バッハ(1714-1788年)
がなり、彼をが亡くなると、このゲオルグ ミヒャエルがその職を継ぎました。
ゲオルグ ミヒャエル テレマンのオルガン曲「私達の神は強力な要塞です」
バッハも、テレマンも子だくさんですね。仲もよかったみたいですよ。子どもの名前をつけあったり、家族ぐるみでつきあっていたようです。
バッハは常に考え尽くした楽譜を売込む必要がありました。
テレマンは売れっ子で多筆だったので、朝食後に楽譜書いてお昼に演奏したらポイッとゴミ箱に捨てたりしてました。
バッハは尊敬、テレマンは好きっていうのが、音楽の特徴を表しているような気がします。
どんどん咲くのですね。
その名の如くですね!
リュウキュウベンケイソウはそうでもなかったのですね。
土地にあわなかったのかしら?
たいしてお世話もしていないのにず~~~っと元気なんです🍀🍀✨✨
そこからのバッハ・テレマン・・(こんなにお子さんがいたとは!!いや、だからこそあんなに精力的に大曲を作れるのかな・・
こちらに来ると、大物たちの私生活が垣間見られていつも面白いです✨✨)
バッハはそんけいしていますが、テレマンのほうが好きな曲があります💛
沖縄からリュウキュウベンケイソウの品種をいただき、さし木したら1本だけ根付いてます。こちらは生命力が弱いです。