音楽の喜び フルートとともに

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南仏プロヴァンス組曲

2023-05-15 21:12:00 | 近代
実家のオリーブ、蕾がつきました。
探しましたが花はまだ1つも咲いていません。

近所の人が庭の薔薇を差し入れてくれていました。

昨日は別の人が庭で作った玉ねぎを持って来てくれていました。
本当にありがたいです。
オリーブは油分を多く含み、食用油として古代の油量作物として知られていました。
オリーブは旧約聖書でノアは鳩がオリーブの葉を咥えて帰ってきたのを見て洪水がひいたのを知りました。
紀元前700年頃古代ギリシャはオリーブの栽培によって国力を蓄え産油国なみの繁栄をしました。

現在でも98%が地中海沿岸諸国により生産されています。

ダリウス・ミヨー(1892-1974年)
フランス共和国の地中海沿岸 プロヴァンス地方のエクス=アン=プロヴァンス生まれ、スイス ジュネーブ没

アーモンド取引で財を成した裕福なユダヤ人の家庭に生まれました。

ミヨーの生家
父は商館を経営しながら、地元の音楽協会の中心人物を務め、母はパリで声楽を学んでいました。
7歳からヴァイオリンを学びます。
1909年パリ音楽院に入学。 
作曲を学びます。

バリ音楽院

1914年ミシア ゴプデフスキ

ルノワール画ミシア ゴプデフスキ
のサロンに出入りし、サティ、ラヴェルとも知り合います。

1917年第一次世界大戦が始まると、健康上の理由で軍には入れず(小児麻痺のせいで、車椅子を使うこともおおかった)
外交官秘書になります。

1917-18年にはブラジルで生活します。ブラジルの民謡特有のシンコペーションのリズムに惹きつけられます。

リオのカーニバル
この頃フランス6人組

フランス6人組 タイユフェール ミヨー オネゲル プーランク オーリック デュレはこの絵には入っていません。
の1人として知られるようになります。

1922年公演のためのアメリカ合衆国を訪問しハーレムのジャズや黒人音楽を研究し、それらを取り入れた「世界の創造」(1923年)を発表します。

1940年、ユダヤ人だったミヨーは第二次世界大戦を避けるためにアメリカ合衆国に逃れます。

戦後、フランスに戻り、パリ音楽院の作曲家教授に任命され、アメリカカリフォルニアのミルズカレッジ

と、1年おきに行き来する生活を送りました。
1971年にミルズカレッジを辞し、ジュネーブに移住し、ジュネーブで創作活動を続けながら亡くなります。

ミヨーの墓は故郷のプロヴァンスにあります。

「プロヴァンス組曲」は、1936年作曲。


「私は、プロヴァンス出身のフランス人であり、ユダヤ人です。」(ミヨー回想録 楽譜なしの覚書より)
8曲からなる管弦楽曲でプロヴァンス出身のフランス後期バロック音楽のアンドレ カンプラの音楽の素材や、プロヴァンス民謡の旋律、民族楽器のプロヴァンス太鼓を使っています。

作風は
「革新という言葉は嫌いです。先人の後を論理的に継続的に革命的ではなく更新発展の精神によって追求したという精神をいつも持っていました。」(音楽家の自画像より)と言っているように、新古典的に描かれています。





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2 コメント

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プロヴァンス (takan32)
2023-05-16 00:05:18
久米さんへ、私のブログにいいね!をありがとうございます。
フランスには2回行ったことがありますが、地中海沿岸には行ったことがありません。
プロヴァンスは"プロヴァンスの12か月"というのがベストセラーになったことがありますね。
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Unknown (m-fluteangel16)
2023-05-16 09:29:47
@takan32 さん、いつもありがとうございます。
行かれなかったのですね。
私はニース音楽院で1ヶ月学んだので、地中海で泳ぎました。
プロヴァンスの12ヶ月読みました!2巻目も…。風光明媚でいい加減で、ゆるゆる過ぎてアナログ、不便な生活。
私も着いた日に自動販売機にお金を入れたら何も出てこない、お金も返ってこない。バスも来ない。
そんな南仏生活がよく描けていて、楽しめました。
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