
夫が出張したときの、韓国のお土産。
もちもちした生地に甘さ控えめの餡が美味しかったです。

こちらは中国



1918年第9版中国の笛ハンス ベートゲ

こちらは中国

まさかのラップ巻き

江南のもち米とみどりゴマ団子とGoogle lensとGoogle翻訳で出てきますが、ホントのところはわかりません。

江南のもち米とみどりゴマ団子とGoogle lensとGoogle翻訳で出てきますが、ホントのところはわかりません。
少し甘めのこし餡をお餅で包んである感じで、素朴な美味しさでした。
グスタフ マーラー(1860-1911年)オーストリア帝国ボヘミア王国カリシュト生まれ、オーストリアハンガリー帝国ウィーン没

1908年作曲の「大地の歌」は副題として「テノールとアルト(またはバリトン)とオーケストラのための交響曲」(Eine Symphonie für eine Tenor und Alt (oder Bariton) Stimme und Orchester )とあり、マーラーが9番目に作曲した交響曲です。第9のジンクスを恐れたマーラーが第9という番号を振らなかったことでよく知られています。
この曲が歌詞に採用したのは、ハンス・ベートゲ (1876-1946年)

1913年ほかにもリヒャルト・シュトラウス、エルンスト・トッホ、アルノルト・シェーンベルク、アントン・ウェーベルンら多数の作曲家が曲をつけています
編訳による詩集『中国の笛-中国の叙情詩による模倣作』です。
編訳による詩集『中国の笛-中国の叙情詩による模倣作』です。
ベートゲは中国語を解さず、『中国の笛』は、既出版の『中国の叙情詩』(ハンス・ハイルマン)、『唐詩』(エルヴェ・ド・サン=ドニ侯爵)、『玉書』(ジュディット・ゴーティエ)からの翻訳(サン=ドニとゴーティエの詩集はフランス語)あるいは自由な模倣によっています。
このため、原詩にほぼ忠実なものや自由な模作となっているものが混在し、元となった唐詩については特定できていないものもあります。
これはドイツ・オーストリアにとどまらず、ヨーロッパの風潮で
文学、絵画を含めた芸術分野で「死」をテーマとした作品が数多く生み出され、同時に、エキゾチズム、とりわけ日本を含めた東洋への関心も高まっていました。
ベートゲの『中国の笛』は、このような時代の空気の所産です。

1918年第9版中国の笛ハンス ベートゲ
『大地の歌』に無常観、厭世観、別離の気分が漂っていますが、このことで、マーラー自身が東洋的諦観に達していたとは必ずしもいえません。
しかし、彼は人間は死んで地上からいなくなるが、大地は永遠に繰り返して花を咲かせ、緑に覆われるというイメージを持っていて、10代のころから手紙でこのことに触れています。
マーラーがベートゲの『中国の笛』に出会ったのは作曲の前年1907年秋(同書の出版は同年10月)と考えられるます。
その年の夏、マーラーは長女マリア・アンナの死に遭い、自身も心臓疾患の診断を受けました。
同年暮れには、10年間務めてきたウィーン宮廷歌劇場の音楽監督を辞任し、渡米するという転機を迎えています。
マーラーにとって、死が身近なものとなり、音楽活動だけでなく、実生活面でもヨーロッパとの訣別という心情があったと考えられます。
それぞれの楽章に、李白の詩を下敷きにしたベートゲの翻案詩が使われていますが、原作と違っていておもしろいです。
第5楽章が今の季節を表しているので、これだけを最後に上げてみました。
全部上げると長いので…。
1. Das Trinklied vom Jammer der Erde
第1楽章 大地の哀愁に寄せる酒の歌
Li-Tai-Po (701-762) 李白の詩「悲歌行」による
.2 Der Einsame im Herbst 第2楽章 秋に寂しき者
Tchang-Tsi ? (765? - 830?) 銭起の詩「效古秋夜長」による(未だ特定されてはいません。)
3. Von der Jugend
第3楽章 青春について
Li-Tai-Po (701-762) 李白の詩「宴陶家亭子」による
4. Von der Schönheit
第4楽章 美について
Li-Tai-Po (701-762) 李白の詩「採蓮曲」による
5. Der Trunkene im Frühling
第5楽章 春に酔える者
Li-Tai-Po (701-762) 李白の詩「春日酔起言志」による
6. Der Abschied
第6楽章 告別
Mong-Kao-Yen and Wang-Wei (701-761) 孟浩然の詩「宿業師山房期丁大不至」と王維の詩「送別」による
5. Der Trunkene im Frühling
第5楽章 春に酔える者
Li-Tai-Po (701-762) 李白の詩「春日酔起言志」による
(ベートゲ、マーラー版)
人生がただ一場の夢ならば
努力や苦労は私にとって何の価値があろうか?
それゆえ私は酒を飲む 酔いつぶれて飲めなくなるまで
終日酒に溺れようぞ。
喉も魂までも溺れ酔いしれて
ついに酔いつぶれて飲めなくなったら
よろめきながら家の戸口にたどり着き
そのままそこに眠り込んでしまうのだ
目覚めて何を聞くのか さあ聞くがよい
前庭の樹の花 その花の中で鳴くは鶯一羽
私は鶯に尋ね聞く。<もう春になったのか>と
私はいまだに夢心地まどろむ
鶯囀さえずり、《そうです。春はすでにやって来た。
闇夜を渡り、春はここにやって来た》と
そうして私は聞き惚れ感じ入り、見つめれば
鶯はここぞとばかりに歌い、笑うのだ
私は新たに手ずから酒杯を満たし
盃傾け、飲み尽くす底までも、そして歌うのだ
明月が黒き帳の下りた夜空に昇り、輝き渡るまで
もし私がもはや歌えなくなったなら
その時、私はもう一度眠り込む
いったい春は私に何の役に立つのか
だから、このまま酔わせてくれ!
第5楽章「春に酔えるもの」
李白春日醉起言志 春日醉より起きて志を言う (詩:李白)
處世若大夢 胡爲勞其生
所以終日醉 頽然臥前楹
覺來盼庭前 一鳥花閒鳴
借問此何時 春風語流鶯
感之欲歎息 對酒還自傾
浩歌待明月 曲盡已忘情
處世大夢の若く 胡爲ぞ其の生を勞する
所以に終日醉ひ 頽然(たいぜん)として前楹(ぜんえい)に臥す
覺め來たつて庭前を盼(かえり)みれば 一鳥花閒(かかん)に鳴く
借問(しゃもん)すれば
此れ何れの時ぞ
春風流鶯(りゅうおう)に語る
之に感じて歎息せんと欲し
酒に對して還た自ら傾く
浩歌して明月を待ち
曲盡きて已に情を忘る
リッカルド・シャイー「大地の歌」全曲
今気づいて9番にしました。
人気があるので、ほとんどの有名な指揮者のものはアップできませんでした。
クラシック音楽やバレエ、オペラにも中国を取り入れた曲が多数ありますね。中国の不思議な役人(バルトーク)、くるみ割り人形の中国の踊り(チャイコフスキー)、トゥーランドット(プッチーニ) など。
くるみ割り人形は真っ先に出てきますね。これは以前ご紹介しましたので…。
バルトークは絶望的過ぎて!
そのうちご紹介しようと思っていましたが、中国趣味というかこの頃流行っていた東洋趣味の影響ですね。他にもたくさんあります。