長男の引っ越し第二弾。
東近江から栗東市へ
途中、中山道武佐宿を通ります。
近江商人の屋号のついた家が並んでいます。
ピョートル イリイチ チャイコフスキー(1840-1893年)
ロシア帝国ヴォトキンスク生まれ、ロシア帝国サンクトペテルブルク没。
家系はボルダヴァ州に領地を持つウクライナ コサックのチャイカ家。
祖父のピョートル フョードロヴィチ
の時にチャイカからチャイコフスキーと変えました。
の時にチャイカからチャイコフスキーと変えました。
1872年交響曲第2番「小ロシア」op17ハ短調は、1872年6月〜11月にウクライナ、カムヤンカに住む妹アレクサンドラ ダヴィドバを訪れた時に書き始めました。
8月にモスクワに戻ると、音楽院の仕事や音楽評論家としての仕事をこなしながら熱心に取組みました。
弟モデストに手紙で
「(交響曲に)夢中になってしまったので、他のことに取り掛かれる状況ではなかったんだよ。(コンドラチェフ曰く)この『天才の仕事』は完成間近だ。(略)形式の完成度に関しては、自分の最高の作品だと思う。」と書き送っています。
この曲は、妹の勧めもありその地に別邸を構えたこともあって、ウクライナの民謡を取り入れています。
第1楽章には、ウクライナ民謡「母なるヴォルガの畔に」がホルン独奏によって演奏されています。
第2楽章は、ウクライナ民謡「回れ私の糸車」が使われていて、オペラ「ウンディーネ」の結婚行進曲として作曲され、劇付随音楽「ハムレット」にも
流用されています。
第3楽章は、民謡風のチャイコフスキーのオリジナルです。
第4楽章 ウクライナ民謡「鶴」の主題による変奏曲になっています。
「小ロシア」という命名はニコライ カシュキン
によるものです。
小ロシアは、現在では蔑称になっていますが、当時はそういう意味はありませんでした。
日本で「1812年」の演奏を見合わせる動きがありますね。チャイコフスキーは悪くないけど、ロシアが勝つのを讃える曲は今演奏するのが難しいと…
そうなのです。チャイコフスキーの1812年は確かに今はまずいと思います。
そうおっしゃる通りでウクライナに出自を持つチャイコフスキーは悪くないし、交響曲第2番はむしろ今演奏すべき曲です。
細かく違いを認識しないと、
個人の生活や主張は国家全体の利害と一致しなければ認められないという全体主義に陥ってしまい、ロシアの国民とプーチンを一緒くたにするように良くない結果を引き起こすように思うのです。