音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

世界を自分の一部と思う

2014-02-10 21:43:43 | 哲学

世間話なら、いくらでもできるのに、教室や、フォーマルな場、上司、親、先生などなどに対して、なぜ口をつぐんでしまうのだろう?

恥ずかしい、怖い。

じゃあ、その感情はどこから何ゆえにおきてくるのだろう?

何か良いことを言わないといけない。賢いことを言わないといけない。もし、うまく言えなかったら、立場を失う?殺される?名誉を失う?

誰に対して?
だって仕方ないじゃない、誰だって恥ずかしいし怖いじゃない。
と思った私。
自分がそう思うなら、相手にも同じこと。発言する相手を恥ずかしいやつ、人と思うに違いない。

しかも、私が、家族や教室や仕事場で、一緒にいるのは仲間であって敵ではない。

誰かが発言した時に○×をつけて、○だと良し、×だと人とレッテルを貼るために教室に通っていたとしたら、学習にさくエネルギーはもうほとんど残されていない。
学ぶ効率が悪いのも納得です。

しかし、何を言っても良いというのが自由と思ったところがミステイク。

何を言ってもいいけれど、ルールはあります。
それを暴力ととったことで、いろんなことが、ややこしくなってきました。

その場に集っている人の目的、時間制限、一人が話し過ぎない、全員が口を開く、結論ありきではなくて、ブレインストーミング=話し合いのために集まっているということ、誰かを排したり、攻撃しない、感情を吐き出す場でもないなどなど
ルールが必要なのは、学校だけではありません。

「他人を自分の一部と思えば、世界は意味のあるものに変わる」ダライ・ラマ法皇14世

戦後、学校から宗教を除き、それに変わるものを入れなかったのが、混乱の始まりだったかもしれない。たぶん科学を知った私たちは宗教ではもう納得できない。哲学が必要だったのだろうと思います。

「生きることに、なんの意味があるの?」
「なぜ、人を殺してはいけないの?」
と、問い続ける科学が。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿