音楽の喜び フルートとともに

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赤ずきんちゃん

2024-10-13 21:00:00 | ロマン派
枚方市の光明寺で「極楽往生お寺ライブ」に出演してきました。

羽田雅峰住職は子どもの元PTA仲間で、毎年声をかけていただいています。

ギター川原久美子さんとフルート久米素子でイベールの「間奏曲」、モーツァルトの「ソナタop14」、ピアソラの「アヴェ・マリア」「リベルタンゴ」を演奏させていただきました。

境内では彼岸花が満開でした。

今回はたくさんの出演があり、ジャズの人や、ネパールの笛の参加。
タイの楽器などバラエティ豊かで楽しかった〜!
楽屋では情報交換、お友だち申請花盛り。
手作り販売や、

蓮の花製作ワークなどもありました。

浄財箱はユニセフにすべて寄付するということで、たくさん集まってると良いなぁ!

光明寺 枚方市
浄土宗 知恩院末医王山(いおうざん)薬師院開基は不詳、もと通称寺屋敷にあったが元禄年間の火災で焼け薬師地と言う現在の地に移り、薬師堂と合併したので薬師院と呼んでいます。

本尊は阿弥陀如来像で僧恵心(えしん)の作薬師堂の本尊薬師如来は運慶(うんけい)の作と言われていますが確証はありません。

本堂は安政六年(1859)の再建。
脇壇の聖観音は定朝の作で明治三年廃寺となった観音寺の本尊です。
観音寺は慶応二年三月現在、河内西国の廿八番札所でした。

光明寺ホームページより

ツェーザリ・アントーノヴィチ・キュイ(1835 - 1918年)ロシア帝国ヴィリニュス生まれ、ソビエト連邦社会主義共和国ペトログラード没

は、ロシアの作曲家、音楽評論家・軍人で、ロシア五人組
(ミリイ・バラキレフ(1837 - 1910年)モデスト・ムソルグスキー(1839 - 1881年)アレクサンドル・ボロディン(1833年- 1887年)ニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844 - 1908年))の一人です。

作曲者自身の用いたフランス語表記に従って、セザール・キュイ(César Cui)と呼ばれます。
(リトアニア語では「ツェーザリウス=ベニヤミヌス・キュイ(Cesarius-Benjaminus Cui」 )。

10曲のオペラを残したほか、ピアノ曲『25の前奏曲』。五人組の中では長寿に恵まれ、厖大な作品数を残しました。
『赤ずきん』は、ツェーザリ・キュイが1911年に作曲した2幕3場からなる子供のための童話オペラです。
シャルル・ペローの同名の童話を基にMarina Stanislavona Pol'が台本を作成しました。

総譜は1912年に出版され、ロシア皇太子アレクセイ・ニコラエヴィチ
1904-1918年ロシア10月革命により14歳で殺害されました。
に献呈されています。なお初演の日時は明らかとなっていませんが、1921年には白ロシア・ソビエト社会主義共和国(現ベラルーシ)のホメリで上演されています。

「赤ずきん」
第1幕第1場
合唱によって物語が説明されます。
舞台はとある森の近く。赤ずきんは病気の祖母のもとへケーキを届けに出掛けます。
出かける前に、母親は森の中で遊んだり、見知らぬ人と話したりしないよう 
言います。

第1幕第2場
不気味な森。木こりたちが木を切る音が聞こえています。
茂みの中から赤ずきんが現れ、花を摘もうと立ち止まります。その姿が狼の目に留まり、狼は赤ずきんの行く手を塞ぎます。
赤ずきんちゃんはオオカミに出会います。イラストはウォルター・クレーン。
そして、祖母の家までの近道を思いつき、どちらが最初に祖母の家までたどり着くか勝負を持ちかけます。
赤ずきんは話に乗り、狼とそれぞれ別の方向へと駆けています。

第2幕
祖母の家と林。
狼が3日間何も食べていないこと、そして最初に祖母の家に着いたと合唱がはいります。

赤い頭巾を被った狼は何とか家へと押し入り、祖母を飲み込んでしまいます。
狼はベッドの中に潜り込み、赤ずきんが現れます。

アーサー・ラッカム
疑問に思った赤ずきんが祖母の見た目の変わりように驚いていると言うと、狼は正体を現し、赤ずきんも飲み込みます。

ギュスターヴ ドレ 赤ずきんと狼
そこへ猟師と木こりたちが現れ、家の中へと入ってきます。
彼らは狼の跡を追ってきたのです。
狼が眠っているのを見て、彼らは腹の中から赤ずきんと祖母を救い出します。

オーレル ルコエ
そして、狼の腹を再び縫い合わせ、狼を悔い改めさせます。
狼は善良になることを約束し、約束を守り続ける限り森の中で生きていくことを許され、幕は閉じます。

なんで「赤ずきん」かって?彼岸花の赤色にちなみました…くるし💦