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世の終わりにうたう歌

2009-05-05 20:05:03 | 本・映画など

紫蘭は茶花に最適です。初めて、お茶の先生に名前を教えてもらった時「しらんなんか、しらん。」・・・洒落だと気づくのにずいぶんかかりました。

「世の終わりにうたう歌」世紀末ウィーンの天才たち 伊藤勝彦編 新曜社 1993年
伊藤勝彦さん、徳永怐さん、武井真さん、吉野さよ子さんによる、論文集です。
グスタフ・クリムト、エゴン・シーレ、グスタフ・マーラー、ウィトゲンシュタイン、D・H・ロレンス、ジークムント・フロイトをそれぞれの人がそれぞれの視点で書いています。

世紀末のウィーンの空気が知りたかったのと、標題に惹かれました。もちろん、マーラーの論文のタイトルでした。

マーラーの父のベルンハルトはドイツにあって、初めて開かれたユダヤ人の社会的成功を勝ち得たエリートの一人でした。14人の子どもをもうけ、7人は夭折し、マーラーは夭折した兄に継ぐ第二子で長男としての期待を背負っていました。
両親のいさかい、野蛮な父から、母への虐待、子ども達への折檻、マーラーは父をけだもの、畜生、好色漢、サディストとして回想しているそうです。

とにかくマーラーは社会的成功を収めなければならず、交響曲の成功、アルマ・シントラーという家柄、教養、知性全て揃った妻を迎えたことで完成しました。しかし、かつての二流知識人の友人を切り捨て、社会的にはどんどん成功していた時期、マーラーのあふれる感情の発露としての音楽は姿を消してしまうと、武井さんは書いています。
当時ハプスブルグの社会が、マーラーの感情をうけいれることはないと、悟ったのではないかと示唆しています。そしてますます、マーラーは社会的成功を得るのです。

ここに出てくる人たちは全て、社会と自分の感覚の間で引き裂かれ、屈折し苦しみます。天才ゆえというより、全ての人が持つ苦しみがこの天才とよばれた人々は、その存在の特異性により、孤立無援におかれ、増幅し、夭折、自殺に追いこまれていたような気がしてきました。歴史を知るというより、個々の人間としての苦しみが理解できる一冊です。


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