日曜日、朝レッスンした後、プロージットオーケストラの練習で東成区民ホールへ。
摂南大学ラッピング京阪電車
演奏会で初演されました。
で、彼は「卓越した技術」と「澄んだ豊かな音色」で知られていました。
今回は、合唱団の他に、4人の声楽ソリスト、ゲストコンマスの友永健二さんも入っての練習でした。
ミサ・ソレムニスはすべて合唱が入っていすが、第九は4楽章のみ。
私はミサ・ソレムニスは降り番なので、後半参加。
合唱、ソリストが入るとまた壮大な感じで熱気が高まってきました。
ソリストかっこいい!
代振りの槙野先生「ベートーヴェンは平和を祈って書いています。戦争なんかやめて花を咲かそうや!って知らんけど。ここでは花を咲かせてください。」
第九 四楽章の後は歌の人を帰して、残りの楽章をやりました。
あれこれ課題満載…私も大変💦
いよいよ追い込み!頑張ります。
プロージット室内管弦楽団10月20日フェニーチェ堺
ピアノ、ヴァイオリン、チェロと管弦楽のための協奏曲 ハ長調(Konzert für Klavier, Violine, Violoncello und Orchester C-dur )作品56は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827年)神聖ローマ帝国ケルン選帝侯領ボン生まれ、オーストリア帝国ウィーン没
1803年のベートーヴェン
が1803年から1804年にかけて作曲した楽曲。通常は三重協奏曲と略して呼ばれています。
ヴァイオリンソナタ第9番『クロイツェル』、ピアノソナタ第21番『ワルトシュタイン』、ピアノソナタ第23番『熱情』、交響曲第3番『英雄』などが書かれた時期の作品です。
当時チェロを伴った協奏曲はほとんどなく、ベートーヴェンの師匠であるハイドンが残した第1番、第2番のチェロ協奏曲などが見られるくらいでした。ベートーヴェン自身もチェロ単独で独奏楽器とした協奏曲を残していません。
ベートーヴェンが残した唯一の、チェロを伴った協奏曲です。
このような特異な協奏曲を作曲した経緯については不明ですが、ピアノのパートが演出面では効果的でありながら技術面では比較的易しく書かれています。
一方で、チェロにとっては重音奏法や急速な分散和音や音階などを要求される難曲です。
ピアノのパートが易しく書かれている理由は、弟子のアントン・シンドラー
が、ベートーヴェンのパトロンであったルドルフ大公
が、ベートーヴェンのパトロンであったルドルフ大公
による演奏を想定してのことでした。
ベートーヴェンの指導の下で熟練したピアニスト兼作曲家となった大公は、当時10代半ばだったため、ベートーヴェンの戦略により成熟した熟練したソリスト2人がバックアップし、派手で比較的簡単なピアノパートを作ったと言うのです。
しかし、シンドラーは多くの捏造で知られており、この主張の信憑性も低いです。
出版は1807年。
1808年、初演は復活祭前にライプツィヒで行われ、同年5月にはウィーン初演、夏のアウガルテン宮殿での
演奏会で初演されました。
初演のヴァイオリニストはカール・アウグスト・サイドラー、チェロ奏者はニコラウス・クラフト
で、彼は「卓越した技術」と「澄んだ豊かな音色」で知られていました。
独奏楽器群がピアノ三重奏的な役割を果たしているので、通常の協奏曲のようなカデンツァはありません
介護がなければ、聴きに行きたいです。
4人のソリストのうち、清原邦仁さんが出演されている公演は何回か行きました。
以前、たまたま、すわった席の横に清原邦仁さんの母親がいて、心配そうにしていました。清原邦仁さんの出演回数がまだそんなに多くない頃でした。
先生のブログを知ってからいつも、楽しみを持って拝聴させていただいています。
ありがとうございます。(*^_^*)
待ってました。ベートーベン!
ふーん。アントン・シントラーは多くの捏造をしたんですか?
でも、彼もベートーベンのファンですよね。良いほうに捏造したんでしょうかね?
オケは全く違います。私はオケ経験が少ないので四苦八苦です💦
お気遣い無く。
お母さまお幸せですね。どうかご自愛もしてくださいね。
楽しみにしています。
楽しんでいただいて本当に嬉しいです。
ベートーヴェンお好きなのですね。
そうなのです。
シンドラーは伝記作家というより、ベートーヴェンのファンで神のように心酔するあまり自分のこうであってほしいというベートーヴェン像を創り上げ、それに合わないものは消去したりしていました。
かつての日本の音楽教育の中のベートーヴェンは彼の神格化された姿が主でした。
それでも多くの資料がシンドラーのおかげで残ったことは間違いないのですが…。