音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

アイーダとラダメスの道行き

2022-07-18 20:53:07 | ロマン派
15日フェニックスホールの帰り、大阪はお初天神(露天神)のお祭りの準備中でした。
近松門左衛門の「曽根崎心中」の舞台になったお初天神。


店のお金を使い込んだと疑われた徳兵衛が身の潔白を証明するには、死しかないという状況に追い込まれ、お初は自ら徳兵衛との死の道行きを選びます。

お初徳兵衛 未来成仏 疑ひなき 恋の手本となりにけり



天神さんは小さくなってしまいました。
実は昨日のベネットメモリアルコンサートの余韻で頭がいっぱいです。
特に伊藤先生の美しい音…。

ジュゼッペ フォルトゥニーノ フランツェスカ ヴェルディ(1813-1901年)フランス帝国タロ地区レ ロンコーレ生まれ、イタリア王国ミラノ没

の、歌劇「アイーダ」は、1871年に作曲されました。

エジプトの総督イスマーイル パシャは、スエズ運河の開通、それに伴って建設されたカイロのオペラハウスで上演するための歌劇をヴェルディに依頼しました。

エチオピアの王女アイーダは、国がエジプト軍に破れたために、
エジプトの女王アムネリスの奴隷として仕えていますが、そのことを誰も知りません。

エジプト軍の指揮官ラダメスは、そのことを知らずにアイーダと愛し合っています。
彼はエチオピアからの勝利をアイーダに捧げようとはりきっています。

エジプトの女王アムネリスもラダメスを愛していて激しい嫉妬に燃えています。

その影でアイーダは、父親エチオピア王とラダメスが闘わねばならないことを人知れず嘆いています。

エジプト軍の勝利の報告が入り、アムネリスは勝利の宴を用意していますが、アイーダに
出征したラダメスの戦死の報告を告げます。
実は嘘で動揺するアイーダにラダメスは自分のものであると宣言します。

ラダメスが、凱旋し、

エジプト王でアイーダの父のアズナムロが捕らえられます。

アイーダは「お父さん」と口走りますがなんとかごまかします。

父にエジプト軍の秘密を聞き出すように迫られるアイーダ。

ラダメスは、勝利と引き換えに、アムネリスとの結婚とエジプトの次期王位を授与されます。

しかしアイーダに逃げ道を聞かれ、漏らしてしまいます。秘密を聞いたアズナムロがやってきてアイーダに一緒に逃げようと説得します。

そこへエジプト軍がやってきて、アイーダは父と逃げ、ラダメスは「自分が秘密を漏らした。」と自ら捕まえられます。

アムネリスがラダメスにアイーダを諦めるなら助けようと口説きます。

しかしラダメスは取り合わず、弁明もせず地下牢に生き埋めの刑に処せられます。

ラダメスが地下牢に行くと、アイーダが潜んでいて二人は現世の苦しみに別れを告げ、死へと旅立つのでした。

勇ましい凱旋の歌ばかりが注目されますが、実は二人の死の道行きが、このオペラの本筋でした。






最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ヴェルディ (カンサン)
2022-07-18 21:14:46
久米さんへ、私、きょうはびわ湖ホールに行ってヴェルディ作曲のオペラ"ファルスタッフ"を見てきました。♪
アイーダも関西であった公演で2、3回見たことがあります。
返信する
Unknown (angeloprotettoretoru)
2022-07-18 21:17:46
ヴェルディはイタリア🇮🇹建国の精神的支柱のひとつになった一面がありますね。ナブッコのVa Pensiero, Sull'ali dorateは、第2の国歌と言われてますけど、正直言ってInno di Mameliを歌えないイタリア人が結構いるのに、あちらはみんな知ってます。国歌を超えた歌だと思います。
返信する
マリア・キアーラ (手賀沼日記)
2022-07-18 22:30:19
アイーダはマリア・キアーラですね。あまりCDは
ないようですが、昔テレビでアイーダを聞いたことがあります。アムネリスはフィオレンツァ・コソットでした。WIKIで調べたら、今82歳、驚きました。まだまだ若い人だと思っていました。
返信する
Unknown (m-fluteangel16)
2022-07-20 01:13:08
カンサンさん、びわ湖ホール行かれたのですね🎶👍
ファルスタッフどうでしたか?
アイーダも公演何度もご覧になってるのですね!素晴らしいです💖
返信する
Unknown (m-fluteangel16)
2022-07-20 01:28:14
@angeloprotettoretoru さん、イタリアは長くオーストリア帝国などに支配されていてちょうどヴェルディの頃、独立運動が盛上がって、そのシンボルに祭り上げられた側面があるのです。
返信する
Unknown (m-fluteangel16)
2022-07-20 01:32:44
手賀沼日記さん、フィオレンツァ・コッソット!いいですね~~。
私はエディタ クロヴェローヴァでした。ヴェローナでトゥランドット姫も、そうでした。昨年亡くなってしまいました。残念です。
返信する

コメントを投稿