土曜はギターの川原久美子さんが合わせに来てくれました。
ねこ好き川原さんのねこピアス🐱
究極の卵かけご飯定食とり天
卵かけごはん、かつお節ついてました。
1859年プーシキン
1831年ナターリア アレクサンド ルブリロフ画
と結婚。長女マリア(アンナ・カレーニナのモデル)アレクサンドル、グレゴリー、ナターリアの2男2女をもうけます。
1825-1855年在位
の検閲、発禁処分、言論弾圧に反発。「大尉の娘」を発表。
瀬戸内レモンのハートケーキ頂きました。
18日、萩原天神イタリア縛りのコンサートと10月の交野光明寺のお寺ライブの合わせです。
ねこ好き川原さんのねこピアス🐱
ジュリアーニのレントラーの主題による6つのヴァリエーションとカルリの2つのデュオの第一番、プホールのブエノスアイレス組曲からサンテルモ、ピアソラのオブリビオン、イベールの間奏曲などなど…。
曲数が多いので頑張りました。
練習の後は樟葉モールでランチ。
タニタ食堂がフードコートに新規オープンしていました。
混んでて落ち着きませんでしたが列に並びました。
究極の卵かけご飯定食とり天
ごはん小盛でお願いしました。
卵かけごはん、かつお節ついてました。
美味しかった〜!
ピョートル・チャイコフスキー(1840〜1893年)ロシア帝国ヴォトキンスク生まれ、ロシア帝国サンクトペテルブルク没
「四季」はサンクトペテルブルクの音楽雑誌「ヌーヴェリスト」(ゴシップ好き、又は短編小説家の意味)の企画依頼で1875年から翌年にかけて作曲されました。
1885年に曲集として出版されました。
9月の詩はアレクサンドル プーシキン(1799-1837年)ロシア帝国モスクワ生まれロシア帝国サンクトペテルブルク没
1859年プーシキン
由緒ある家柄の地主貴族の父とピョートル1世に寵愛された黒人奴隷あがりのエリート軍人を祖父に持つ母との間に生まれました。
早くから文学に親しみ、乳母はロシアの民話や民謡に詳しく彼に影響を与えました。
1820年後にグリンカによりオペラ化される「リュスランとリュドミュラ」を発表します。
次第に政治色を帯び、政府と衝突します。
「ボリス ゴドゥノフ」は発表することができず、秘密警察がプーシキンへの監視を行いました。
1830年「エウゲニー オネーギン」を発表(1879年チャイコフスキーによりオペラになります。)
1831年ナターリヤ ゴンチャロワ
1831年ナターリア アレクサンド ルブリロフ画
と結婚。長女マリア(アンナ・カレーニナのモデル)アレクサンドル、グレゴリー、ナターリアの2男2女をもうけます。
1936年雑誌「同時代人」を創刊します。
ニコライ1世
1825-1855年在位
の検閲、発禁処分、言論弾圧に反発。「大尉の娘」を発表。
宮廷詩人の地位を与えられ、監査付きで帝室への出入りを許されるが、この待遇を美女として有名だった妻
ナターリアを狙ったものとして屈辱と受け取ったといいます。
ナターリアを狙ったものとして屈辱と受け取ったといいます。
プーシキンの進歩思想を嫌った貴族たちにたきつけられたフランス人のジョルジョ ダンテス
1812〜1895年ナターリアの姉エカテリーナと結婚(1837年)後もナターリアに執着していたといわれています。
が、ナターリアに言い寄り、やがてプーシキンは彼に決闘を挑み、1837年チョールナヤ レチカで決闘を行いました。
が、ナターリアに言い寄り、やがてプーシキンは彼に決闘を挑み、1837年チョールナヤ レチカで決闘を行いました。
この決闘で受けた傷が元で2日後、37歳で亡くなりました。
彼の作品は多くオペラになっています。
グリンカ 「リュスランとリュドミュラ」
ダルゴムイシスキー「石の花」
キュイ「カフカスの捕虜」「黒死病の時代の饗宴」
ムソルグスキー「ボリス・ゴドゥノフ」
チャイコフスキー「エウゲニー オネーギン」「スペードの女王」
リムスキー・コルサコフ「モーツァルトとサリエリ」「皇帝サルタンの物語」「金鶏」
ラフマニノフ「アレコ」「ケチな騎士」
コルンドルフ「黒死病の時代の饗宴」
9月「狩りの歌」
さあ、いまだ角笛がなっている
狩人たちはすでに構えた。
猟犬は飛び跳ね。
前へ行こうとする。
そのうちに今にも止めておくことができなくなっている
管弦楽編曲版四季9月「狩りの歌」
ピアノ原曲四季「狩りの歌」
「黒死病の時代の饗宴」
もの凄く気になります。