次男の検診。
1667- 1739年
の宮廷楽長として奉職します。
順調のようです
9月に手術をしてチタンを抜くそうです。
手術が嫌で、一生チタンと一緒に過ごしている人もいるそう。
そんなことあるのか?!
次男は今はほぼほぼ痛くないそうです。ただしゃがむと痛いそう、そして正座はできないです。
まあ、自転車に乗る時少し邪魔なので自動車通勤になっているところが家族としては不便ですが。(車のやりくりなどが)
バロックバスーン(ファゴット)はどのような音がしたのでしょうか?
録音した音も残っていないので、演奏を聴いた人の感想を記述したもので類推するしかありません。
1956年にロンドンで出版され、1965年に 奥田恵二氏の日本語訳が音楽之友社より出版されたアンソニー・ベインズ氏(ロンドン・フィルハーモニーバスーン奏者)による「木管楽器とその歴史」(The Woodwind Instruments and Their History)
の中には18世紀のバスーンの音色について書かれている記述を集めています。
「イギリス人たちが「馬の脚」と呼んだ古いバスーン(バロックバスーンのこと)は適当なリードを用いればたまらないほど甘美に響くのである。
その音色は巧みに奏された近代フランスバスーンのそれに似ているともいえようが、しかしいくぶん音量が小さく、より安定し、引き締まり、どちらかというとチェロに似ている。
旧式のオーボー同様、他のどの楽器ともよく混じり合うことはこの上ないが、一方、独奏楽器として好まれるに十分な重厚さも備えていた。」
・18世紀中期を通じてのロンドン一流のバスーン奏者ミラー(Miller)は
「ヴォーホール(Vauxhall)などでのコンチェルトや、ヘンデルがオラトリオやコンチェルトの中で彼に割り当てたソロ・パートは人々の注意を呼び起こし、喜びを持って聴かれ、甘美な音色と端正な演奏ゆえにしかるべき喝采を博したのであった」
といわれている。(バーニー・リースの百科事典より)。
ロンドンの奏者ホームズ(Holmes)
彼の音色は「人声に非常に似ていた」
といわれています。ハイドンの<シンフォニア・コンチェルタンテ>の初演をしたのもこのホームズ。
・もちろん下手なバスーン奏者も当時からいたもので、標準以下のバスーン奏者に当時あたえられたのは、
「鼻づまり」だとか「山羊のようだ」。
アンソニー・ベインズはイギリス流・フランス流の奏法の違いについても書いています。
イギリス流について
・「強靭なリードを吹きこなす」ことを推奨(出典:Harmonicom 1830)
・外国人たち(フランス人のこと?)の「頼りない音色と意味のない演奏法」は七面鳥がその羽根で農家の中庭の地面を掃き歩いているようだ・・(出典:Harmonicom 1830)Harmonicom 1830)
フランス流
・イギリス人奏者たちの大まかなリードはタンギング(舌で音を発音させる技術)に特別の力を要求するために、
彼らは<ピアノ(小さな音・柔らかい音)>で演奏することがまったくできない・・・(出典:バール・1833年にパリで教則本を出版)
フランス流のイギリス人奏者、バウマンの演奏についての記述。
・19世紀のロンドンに25年君臨したバスーン奏者・バウマンはこの楽器に他のイギリス人奏者のような丸い音色をもたないとしても、彼にはデリケートな曲折をほどこすより強い力と
「死者の骨のうちにも生命をよびおこす」ような霊感にみちた音がある・・・
これほど伝統的なフランス奏法を巧みに要約した言葉はないだろう。(出典:不明)
とはいえ、現代ではバロックファゴットを再現し、その楽器で演奏されている人もいます。
アントニオ ヴィヴァルディ(1678-1741年)ヴェネツィア共和国フィレンツェ生まれ、神聖ローマ帝国オーストリア大公国ウィーン没
ファゴット協奏曲Gmajor rv496
は1720-1724年に作曲。
モルツィン伯爵に献呈されました。
1718年-1720年 - (40歳-42歳)マントヴァでヘッセン=ダルムシュタット方伯
1667- 1739年
の宮廷楽長として奉職します。
1723年-1724年(45歳-46歳)ローマで3本のオペラを初演し、ローマ教皇御前演奏。
ローマ教皇インノチェンツィオ十三世(在位1721-1724)
作品8『和声と創意への試み』(四季を含む)
作品8『和声と創意の試み』初版第2巻の表紙(1725年)
出版するなど、地位も得て、音楽的にも、充実した時期の作品です。
出版するなど、地位も得て、音楽的にも、充実した時期の作品です。
生音
ぜひお聴き下さい。
結構今は古楽器演奏されている方いますので…。
検査の時に高温!それはデメリットですね。9月に抜くことになりホッとしています。
息子の脚は良くなってきました。
ありがとうございます。