今日は子育てサロンでした。
猫さんだけがのび〜っとしていました。カメラを向けたらそっぽ向いて行ってしまいました。
1865年ムソルグスキー
次男が骨折ったまま働きに出てるので車がありません。
うちから会館まで1.5キロ、久しぶりに歩きました。
子どもたちと遊んだあと歩いて帰ると、お馴染の景色もいろいろ変化があることに気づきます。
ここは人が住んでいましたが、廃屋になっていました。
猫さんだけがのび〜っとしていました。カメラを向けたらそっぽ向いて行ってしまいました。
この校区は空き家が増え、高齢化率高いです。
経済もインフラもイノベーションも人口がある程度維持できてこそ。
子どもがいないとお金も使わない。
引越しもないので、不動産も動かない。レジャーにもいかない。
国力も下がり、円も安くなる。
お花畑で何が悪いのでしょう。
花も咲かない不毛の国に誰が育つでしょうか?
本当は経済の問題なんて無くても、子ども達の声や笑顔があふれる世界がいいです。世界を暴力や恐怖や不安で満たさないで。
モデスト ムソルグスキー(1839-1881年)ロシア帝国カレヴォ生まれ、ロシア帝国サンクトペテルブルク没
1865年ムソルグスキー
ムソルグスキーは魔術と悪魔の幻想というテーマに早くから興味を持っていました。
1858 年19歳に遡り、彼はN.V. ゴーゴリ
1809-1852年ゴーゴリ
の「イワン クパーラ前夜」
の「イワン クパーラ前夜」
ディカーニカ近郷夜話 ロシア民話を下にしたゴーゴリの創作集で「イワンクバーラ前夜」が収められています。
を基にしたオペラの制作を計画していました。
を基にしたオペラの制作を計画していました。
2年後、彼はメングデンの戯曲「魔女」に基づいて作曲をデザインしました。
そのプロットは主要な特徴においてすでに「はげ山の一夜」のほぼ完成版でした。
1860年9月26日付のM・A・バラキレフへの手紙の中で、ムソルグスキーは台本の主な部分を挙げています。
「…魔女たちの安息日、魔術師たちの個々のエピソード、このくだらないものたちの厳粛な行進、フィナーレ…」
1866 年の春、出版されたばかりのM. S. ホチンスキーの魔術に関する本にインスピレーションを受けて、作曲家はバラキレフにこう告げました。
「私は魔女のスケッチを始めました、...悪魔の列車はまだ私を満足させません。」
そして4か月後、
「魔女について話したいと思っています。」
イメージは数年かけて徐々に成熟していきました。
6月23日にスコアを完成させたムソルグスキーは、リムスキー=コルサコフと喜びを分かち合い、ミュージカル映画のプログラムとそのコンセプトの特徴を詳細に説明しました。
「構成の計画と形式は非常に独創的です...散りばめられたバリエーションの形式は、このような混乱に最も適していると思います。作品の全体的な特徴は熱く、長さはなく、つながりは緊密です。」
1867年7月12日付のV.V.ニコルスキーへの手紙の中で、ムソルグスキーは次のように書いています。
「 ...私の故郷の畑に注ぎ込まれ、ロシアのパンによって栄養を与えられたオリジナルのロシアの作品です。」
「「聖ヨハネ祭(洗礼者ヨハネの誕生日)の前夜に不思議な出来事が起こる」というヨーロッパの言い伝えの一種、「聖ヨハネ祭前夜、禿山に地霊チェルノボーグ(黒い神」夜や闇、破壊と死、冥府の神・悪神とも言われています。)
が現れ手下の魔物や幽霊、精霊達と大騒ぎするが、夜明けとともに消え去っていく」というロシアの民話に基づいています。
>花も咲かない不毛の国に誰が育つでしょうか?
>本当は経済の問題なんて無くても、
>子ども達の声や笑顔があふれる世界がいいです。
>世界を暴力や恐怖や不安で満たさないで。
仰る通りです!
👏👏👏👏👏
廃屋や廃旅館、廃ホテルなど、目立ってきましたね。
旅館やホテルなど、大きな建物は赤字倒産したら、自力で解体できなくなっているので、打つ手がありません。個人宅も似たようなものでしょう。
10年も前になりますが、かつて安定のあった場所も、荒れ果てて人けまばらな地区がありました。1個人のことでも💧なのに。
政経だけでないけど、実に目を背けたり無視し、低質化、無責任化、知識、情報ブチブチ。
昔からの事がわかって、本質で話をできる人が社会で機能しなくなって久しいし。
良質に生きるに困る人こそなのに、口を出せないから。
そんな逆社会が経済破綻加速でもあるんですね。。。
経済でものを見れる人もいなくて、おっしゃるとおり。でもそんな中枢機能が、方法が、もうどうやら・・・。
出来た時は幼稚園や小学校入学くらいの子どもを
持つ家族が多く、賑やかだったようですが 10
数年経つと 大半の子どもたちが就職したり大学
生になったりで家を離れ 結婚して親と住む人も
無く高齢化の一途。空き家も独居も増えました。
我が家も娘二人は嫁に出したので 私達夫婦でこの
家は終わりです。まだ住まなくてはいけないけど
家仕舞いもしていかないと。
>禿山の一夜
大好きです。中学の時に音楽の先生に禿山のスコアを
貰って聴きまくりました。
廃屋、廃旅館、廃ホテル目立ってますね。
放置も目に見えて多くなってますね。
特効薬はありませんね。
時間はかかっても、子どもや子育てを支援し、生まれてよかったと思える国にするしかありません。
空き家増えましたか…。
自然のことなのですが、次の世代が育って来ないと…ですね。
お嬢様たちも嫁がれたのですね。素晴らしい。
家仕舞い、そうなのですね。
私たちも考えていかないといけないことですね。
禿山の一夜、思い出のある曲なのですね。スコアもらって聴きまくる、素晴らしいです💖
政治や経済も自分達の鏡というところもありますね。
人と支えあって、子どもたちが生きてて良かった、生まれてきて良かったという世界を作るしか無いです。
それにはお金は必要ですが、無くても始められるし、逆に方向転換のチャンスかも…っていうかここで変わらないともう絶滅へまっしぐらって気がするのですが…。
このようなことにも目を向けていただき、お教えいただいたことに感謝しております。
・・・同感です。