
ヤツデの花が大阪城のお庭に咲いていました。
かつてはよく見かけましたが最近見ないです。
指揮者のアルトゥーロ トスカニーニ(1867-1957年)

イタリア パロマ生まれ、アメリカ合衆国ニューヨーク没
ヴィルヘルム フルトヴェングラー(1886-1954年)

ドイツ帝国ベルリン生まれ、西ドイツバーデンバーデン没。
の接点は1929年。
ワーグナーの息子ジークフリートがトスカニーニの演奏に感動してバイロイト音楽祭に外国人として、初めて指揮をすることを依頼したことから始まりました。
「タンホイザー」や「トリスタンとイゾルデ」を指揮し大成功しました。
しかし、この期間にジークフリートが亡くなります。
1931年、ジークフリートの妻ヴィニフレートがフルトヴェングラーも招聘します。
ヴィニフレートが介入し過ぎるので嫌気がさして、二人とも次回は指揮しないと思っていました。
1933年そこをなんとか出演を取り付けます。
しかしその年の1月、ドイツにヒットラー政権が誕生します。
トスカニーニはヒットラーへの抗議の声明を出し、以後ドイツにはいかないと決めました。
困ったヴィニフレートはヒトラーに介入を依頼し、ヒトラーはトスカニーニに手紙を書きます。
トスカニーニは返信でナチス政権がユダヤ人排斥運動を止めないと音楽祭にはでない。と書き、ヒトラーを激怒させました。
まだ、支配が及んでなかったザルツブルク音楽祭に出演します。
1937年まで出演しましたが、オーストリアがドイツに併合される直前にそこを去りニューヨークへ移住します。
一方フルトヴェングラーはザルツブルクに戻り演奏を続けます。
トスカニーニは「あなたはナチだから出ていけ!自由な国と奴隷化された国の双方では指揮する資格はない」と言うと、
「音楽家にとって、自由な国も奴隷化された国もないと考えています。ワーグナーやベートーベンが演奏される場所では人間は自由です。芸術は政治体制とは別の世界に存在する。」とフルトヴェングラーは答えてドイツで演奏し続けます。
実際にはナチスに退廃音楽と名指しされた作曲家ヒンデミットの作品を取り上げたり、ヒムラーに目をつけられ、戦争末期には亡命しています。
自国の独裁者ムッソリーニにも抵抗して国を出たトスカニーニにすれば、声をあげないフルトヴェングラーはナチスに見えたのでしょう。
これだけ、拍を正確に刻むから、フォルテのところで感情がかなり高まっても音楽の型がくずれないのだと思いました。
すごいですね。
最初に1944年と年号が表示されますが、本当にこの時代はみんな必死だったような気がします。
音楽を演奏する様子からそれが伝わってくるように思います。
録音状態は良くないのに、伝わって来るものがありますね。